2012年9月22日土曜日

2006-06-18 昨日、今日とやすらぎ 編集CommentsAdd Star


横浜市立中央図書館に行き、実用書4冊と歴史フリークの癒し本として上記書籍を借りる。
横浜市立中央図書館は日の出町という、横浜のなかでもかなり場末の雰囲気がただようロケーション(ストリップ劇場すらある)だが、そうとう近代的な図書館。改築される直前の十数年前の古い建物のときに、エレンブルクの『フリオ=フレニトの遍歴』に出会った思い出深い図書館。ざっと見回してみたが、この10年で一度読んだきりの書籍など充実していて素晴らしい。
私の最寄り駅はここではないが、政令指定都市在住だと、各区、中央にある図書館を検索して最寄図書館で借り出し返却することも可能になった。いい時代だ。私の最寄の図書館がおそらく、横浜市内の図書館の中でももっとも、設備的にロートルなだけにこれは有難い。
上記図書は明石書店から出版。いい出版社です。
ポイント
1)内容もさることながら文体や使用語彙が、あるとき、ある場所においてのそれと(今ここにある現代日本で流通しているもの、メディア、ネット問わず)同調していない点が最大の魅力だ。これはクーリエ・ジャポンも同様。
2)内容は告発調ではない。ウォルター・ラカーやフクヤマの著作が時代的制約を持ったものに思えてくる。
レーニンが定式化した悪名高き「誰が 誰を」という思考法、分類法からは無縁だ。
佐藤優の著作でようやく、バルトの民族運動が著しく排他的な側面をある時点から帯びたのが人口に膾炙するようになったが、日本の知識人、ライターは現地のアパルトヘイターの言い分をそのままお説拝聴するだけだった。
これは、左に対してもいえる。ベトナム戦争で北にコミットした人士は、インドシナ難民の苦境をほとんど傍観視した。
 今から考えれば、意味が感じられない米国を告発する民衆法廷を主催したサルトルが、保守派のレイモン・アロンと連れ立って(お互いに目を合わせないほど憎みあっていたにも関わらず)ベトナム難民に対して、政府の人道的支援を大統領に請願する場面をジスカールデスタン仏大統領の回想録で目にしたときは感動的だった。

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