2006-04-06 青樹明子より引用 01 編集
■青樹明子より引用 01
時事昨日に引き続き、青樹明子氏の著作から心に残った部分の引用。氏のエスプリ溢れる文章構成の巧みさ(日本人に馴染みのない部分を注ではなく地の文ですぐ解説するとか、地の文の描写も旨い)と、佐藤優の「こういうときは興奮してすぐダメになる対処療法をとるのではなく、我々が置かれている状況を勇気をもって見据えることだ。しかし、自分の醜い姿を客観的に見つめることはなかなかできない by『国家の崩壊』より」という含蓄のある言葉を前提に読むべき。面白うてやがて哀しゅう描写かな。
羅剛事件の意味するもの私的考察
「羅剛閣下ですか?」
事件はこのひと言から始まった。
2003年2月25日深夜零時過ぎ、中国湖南省、湖南人民ラジオ経済チャンネルは人気番組「心魂之約(心の出会い)」の生放送の最中であった。番組は人気パーソナリティー羅剛が、リスナーからの電話を受けてやりとりする形式で進められている。
零時22分を過ぎた頃、羅剛はその日最後の電話を受けた。「シャオユエンジュンタイラン」(日本語に直すと「小原正太郎」か)という「日本人」である。これがその日最後どころか、羅剛のラジオ人生最後の電話となるとは、誰一人として、知るよりもなかった。
それにしても、実に不気味な声である。悪意と冷笑が入り混じる、奇妙な抑揚の中国語だった。羅剛もかなり警戒感を抱いたようだ。
「たしかに私は羅剛だ。でも私は陛下でもないし、もちろん閣下でもないよ」
「小原正太郎」と名乗る男はそれを無視し、あざ笑うような調子のまま「羅剛閣下」と話を続ける。彼は、番組宛てに手紙を送った、2~3日中には届くだろうが、手元に控えがあるので今読み上げていいかと尋ねてきた。
「どのくらいの長さなのかい?」
「全部読み終わるのは無理くらいの長さかな」
「わかった、じゃあこうしよう。3分間は保証するよ。その後にまた続けるかどうかを僕が決める。3分後に終わりにしても、僕を責めないでくれたまえよ」
「小原正太郎」は「好ハオ (いいよ)」と、羅剛の申し出を受諾し、彼が書いたという文章の朗読を始める。しかしそれは、羅剛がまったく想像しなかった内容のものであった。
「13億の支那人にこの文章を捧げる。私は一人の日本人である。支那に来る前、つまり日本にいた頃だが、小学校時代、いや物心つくやいなや、支那人とは世界で最も低劣な民族だと聞かされていた。
中国に留学したのち、初めて長沙(湖南省の省都)に来て、最初のうちは新鮮な感覚もあったが、その後だんだんとわかってきた。支那人とは、私が想像していたより以上に、そして子どもの時から受けてきた教育、また教師や両親、先輩たちから与えられたイメージよりも、遥かに低劣だということがわかった。
支那民族は教養が無く、民度も低くて、国民はひどく貧乏である。驚愕し、憤慨し、不思議に思い、恥ずかしくなり、いたたまれないほどである」
「小原正太郎」は不気味な抑揚で、淡々と文章を読み続ける。
日本人留学生が、ラジオを通じて中国人を侮辱し、罵り続けている!その驚愕の事実に、羅剛も、番組を聴いているリスナーたちも、唖然として言葉も出ない。
日本鬼子(リーベンダイツ)め!
怒りでうち震えていただろうとは、容易に想像ができる。
「我々日本人が何故お前たちを『中国』と言わずに『支那』と呼ぶか知っているのだろうか。君たちに告げる。唐時代だけが『中国』と呼ぶにふさわしいのである。しかるに現代の教育程度は実に低く、7年ほどしか学問をしていない。これでは文盲と変わらず、初等教育さえ受けていない現代中国人は、まさに野蛮人であり……」
「もういい、もういい!」
あまりの屈辱に、羅剛は、ラジオ番組生放送というシチュエーションを忘れてしまったかのようだ。
「もう充分だ!お前の言いたいことはよくわかった!」
羅剛は電話を切ろうとした。しかし、小原正太郎の悪意に充ちた罵りは続き、羅剛に電話を切らせない。
「良薬は口に苦しということですね。僕たちの国のラジオ局だったら、外国人が日本の批判をしても許されますよ」
「僕たちの国だって?君たちの国がいったいどれほどのものなんだ。一人の善良なる中国人が、たった二文字を地面に書いただけで逮捕するような国だろ!民主主義が聞いてあきれるよ!」
羅剛の頭に浮かんだのは、靖国神社の狛犬の台座に、スプレーで「死ね!」と書きつけ、逮捕された中国人のことだろう。
小原正太郎はそれすらもあざ笑う。
「僕はあの戦争のことなんか、何にも言っていないのになあ」
「こっちの話を聞け、もし一人の中国人が日本のラジオ局で、『小日本』『日本鬼子!』と罵っても、大声で南京大虐殺というあの残虐な行為や8年にわたる抗日戦争がわれわれにどれだけ屈辱を与えたかを訴えても、お前たち日本人はおとなしく聞くというのか」
後は感情的な罵り合いである。
小原正太郎「我々は中学校も出ていないような人間は豚って呼ぶんだよ。だから僕たちはアンタたちのことを支那豚って言うのさ。(略)お前たち中国人は大卒なんて、たった5%じゃないか。俺たちは30%が大卒なんだよね」
羅剛「北海道の農民にそれを言えるのか。北海道の農民はみんな博士か」
小原正太郎「お前たち支那人は無責任なやつらだ。全人類に対して無責任だ……」
羅剛「もういい!」
ここで羅剛はようやく電話を切った。言葉を発することができない羅剛のかわりに音楽が流れた。後の報道によると「大きな刀で日本鬼子の頭を切り落とせ」という、抗日戦争時代の恐ろしい曲だったという。
その正体
やりとりは全部で7分半ほどだった。
後の調査によると、小原正太郎の電話が始まり、二分から五分くらいの間に、ラジオ局経済チャンネルの当直責任者は、二回にわたって羅剛と番組ディレクターに対し、電話を切るように指示したという。しかし何故か、それは実行されなった。
そして7分経過して、番組が終了するとすぐ、長沙市の110番は、回線がパンク寸前に陥った。番組を聴いた人びとからの怒りの電話が殺到したからである。それは200件以上にものぼり、政府の関係部門に対し「小日本」を逮捕し、処罰するよう要求するものだった。
また、何人かの高校生たちは、プラカードを作ってデモを行おうと呼びかけ、大学生は、日系企業を襲うことを提案し、多くのタクシーの運転手はラジオ局前に集結して、小原正太郎を引きずり出せと気勢をあげた。
まさに一触即発の危機だったのである。湖南人民ラジオ始まって以来の、熱く長い夜となった。
事件はそのご、思わぬ展開を見せる。
放送終了後、公安警察、国家安全部、宣伝管理部門(すべて国の重要機関)がすぐさま調査を開始した。事件を重大な政治的事件だと認定したのである。
日本人にラジオを通じて中華民族を侮辱させ、中国人民の感情を傷つける言動をさせたとして、羅剛と番組ディレクターが責任を追及された。すぐさま電話を切るか、放送をストップさせねばならなかったところ、7分以上も話をさせてしまい、深刻な結果を招いた責任は重い、とされたのである。
事件から中2日置いた2月28日、羅剛とディレクターは、放送局を解雇された。政治的に敏感でないというのは、番組制作者、そして主持人(メインキャスター)としての適性を欠く、ということだった。
局側は記者会見を開き、次のように説明した。
「第一、青少年が心の交流をするという番組を、羅剛はあらぬ方向へ話題を誘い、番組の主旨から大きくはずれる結果を招いた。第二、番組管理規定に背いた。第三、番組を中断するようにとの上司の指示に従わず、政治規律、組織規定に重大なる違反行為をした。第四、主持人として政治に対する敏感さが欠け、反駁する能力もなく、適切な処理ができない。以上が解雇の理由である」
事件の主役は、あっけなく舞台を追われたのである。
人びとを驚愕させたのは、羅剛の解雇だけではない。
事件の翌日、つまり2月26日の夜、湖南省長沙市公安局は、麓山南路中南大学付近において、「小原正太郎」なる人物を見つけ出し逮捕する。日本人留学生を騙った罪だった。日本人留学生を騙った、つまり「小原正太郎」は日本人ではなく、中国人だったのである。
本名梁小南・36歳・男。湖南省益陽在住、農民、学歴高卒。小原正太郎の正しい身上書はこうなる。麓山高校句、というところで、個人経営の小さな文房具屋を営んでいるのだそうだ。
逮捕された際、梁小南が携行していた原稿は番組で読み上げた物と内容が一致し、筆跡も、後にラジオ局に郵送された原稿と完全に一致した。何より梁小南本人が、すべて自分がしたことだと認めている。ちょっとした悪ふざけだったと供述しているようだ。
悪ふざけの代償は大きい。
彼はそのまま侮辱罪の罪で刑事勾留され、約3ヵ月後の6月14日、長沙人民政府は梁小南に対し、労働教育2年の罰を下している。
羅剛事件自体は日本人を騙って中国人を扇動しようとした事件ということで、確か水谷尚子氏が論壇誌に掲載していた記事の中で読んだ思い出がある。精力的な現地フィールドワークをこなす水谷氏には失礼ながら、こうして臨場感溢れる描写を読んでみると、反日感情がマグマのように滞留していていつ「水晶の夜」のようなポグロム的日本人襲撃が起こらないという危機感(それを否定しているわけではない)以外にも感じ取ることができる点がいくつかある。
1)もちろん、基本として中国人の反日感情の根深さ、これを読み取るのは間違いではない。
しかし、それ以外にも読み取るべき点はいくつかある。
2)「迫害者は自分たちこそが迫害を受けているのだと涙ながらに繰り返しながら、そして迫害を行った。―これが人間の歴史だ」ファンタスティックな甘い中国観と熱心なファン(梶ピエール先生とか大屋先生とか)にも微苦笑されることが多い内田樹先生だが、大量量産で言説中の金鉱石の品位は低下しているとはいえ、特別な霊感とセンスの持ち主であることは否定できず、上の言葉も拳拳服膺すべき内田語録の一つとして私は反芻している。
どうだろうか。上記のフレーズにおいて、迫害者は扇動者と交換しても同様の意義を持つのではないか。小原正太郎こと梁小南は愉快犯であり、これを一般事例として援用するのは無茶かもしれない。ただ、彼が親日的感情から上記行いをなしたというよりも「人びとの感情を揺り動かしたい」という欲求に突き動かされて上記の所業を行ったと見るほうが妥当である。
ここでは、「やつらとわれわれ」という二分法において、「やつら」はわれわれを憎み、愚弄している。黙示的に、当然われわれもやつらを憎んで愚弄してしかるべきだ。という同じみの言説パターンである。これが以下に強力かは、2+3=Ⅹというこの単純な誘導的言説において黙示的な部分を明示しなくても、感情を刺激して受け手が皆一様に「正当なる反撃」として憎悪の感情をいだいてくれることだ。
日本においても反特定アジア言説はこの種のパターンを忠実になぞっている。日本を侮辱し愚弄する言説の「コレクター」のような採取ぶりはまるで表面上の憤激は別にしてまるで魅入られているかのような印象を受ける。
民間扇動番組や雑誌などでの、中国の酷い言論としてネットから採取して、「どうだ、こんなに酷い」と日本人の視聴者、読者に提示する場合に、日本の2チャンや一部ブログなどで見られる同様のチャイナフォビアの汚い言葉を両方俎上に載せた言説は寡聞にしてみたことが無い。(筑紫哲也流のボヤキ節タイプのそれは除く、無力にもそれは誰にも届いていない)
「ヤツラ」が我々を憎んでいるという前提は、人間誰しもが持っている暗い感情を解放する上での必要条件である。大半の人間なにもないところから人を憎めるほど性悪ではない。水爆を起動する為には原爆の爆破が必要であるのと同じようなものだ。
仮想戦記モノでは、ストーリー上の敵国人が日本人をレイシスト的に罵る決まり文句がこぞって使われる。アメリカ人の場合は「JAP」、北朝鮮人の場合は「倭奴」、中国人の場合は「日本鬼子」と罵る場面がクライマックスの前に登場する。日本人が反撃するときに同じような罵り言葉は出てこないのがご愛嬌だが。
3)次に、決して社会のエリートでは無い梁小南(驚くほど博識だった「Noと言える中国」の著者たちも世渡りが下手で経済的には成功していなかったと述懐していたが、大学卒なのだから、戦前日本の学士様なみの希少インテリと中国においては言える)が、上記の扇動言説を行う上で、覚醒した日本人は反日言説に対抗してクールに反撃して封殺する(travieso氏の表現より)という日本人自身がお気に入りの語り口のパターンを熟知していたという点だ。中国の官製教科書や反日映画では古色蒼然としたワンパターンの暴虐なる軍国日本人が反日素材として反復されている―というのはよく知られた話である。ただ、ネット上や「嫌韓流」タイプのクールに侮蔑するという語り口が向こう側に知られており、それこそが最も感情を高ぶらせるものだと選択されたのは初耳なのではないか。クールな反論に、なすすべも無く先方が押し黙るかぶちきれるというのは、語り口と内容が知られている以上、まさにファンタジー(これもtravieso氏の表現)でしかありえないように思う。もちろん、双方がディベート流に相手側の言説を前もって読み、お互いを「論破」しようとして頭を絞っても有益なものが生まれるとはこれっぽっちも思わないが。
まあ、自称覚醒したネット上の騎士きどりの人たちには、先方が閉鎖された言説空間で、上から与えられた反日教育のおうむがえししかできないと思っていたら足元をすくわれるとだけ申しておこう。ここ3ヶ月での『諸君』のヒット企画、「中国、韓国にこう言われたら、こう言い返せ」の各内容も、今年が終わるまでには驚くほど多くの中国人、韓国人には既知の内容になっているだろう。
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