2012年9月22日土曜日

2006-12-24 硫黄島とアラモ砦 編集CommentsAdd Star


アラモ [DVD]
同胞2万名が死んだ硫黄島事件を、単に悲劇や成功した消耗戦術を教訓とするのみならず国民精神作興の崇敬すべき事例としたいのだろう。ある種の人びとにとっては……。丁度、アラモ砦が米国ナショナリズムの聖地となったかのように。
「男たちのヤマト」では敗戦間際の自殺必死の「男闘呼の美学」を拒絶し、革命を起こして「ケリをつけた」第一次大戦末期のキール軍港のドイツ水兵達が脳みその片隅に浮かんできたが、同種の事例はいくらでも世界史には転がっている。そしてそれを外部からみると当事者の敬虔さには少し鼻白んでしまうところがある。日本人がアラモの戦いにそれほど感情を動かされないと同じに硫黄島の攻防にだって日米を除けば他人ごと。ナショナリズムの何がうんざりするかといえば、比較検証を許さず、夜朗自大な境地にすぐ陥ってしまいがちな点だ。
硫黄島の玉砕の例でいえば、アラモの他にも、ソ連赤軍やロシア連邦軍が独ソ戦初期の「ブレスト要塞玉砕」やイスラエル国防軍が徴兵の若者の研修先にマサダ要塞を選んでいる事例、更に云えば、ギリシアがアジア化せずに済んだ戦いとしてペルシア帝国軍に対してスパルタ国王以下が玉砕したテルモピレーの戦いなどなど。柏書房のパルマケイア叢書あたりが「玉砕とナショナリズム」というお題でなにか1作出して欲しかったものだ。
上記の例と比しても、「硫黄島善戦崇敬者友の会」の皆さんの強調ポイントが日米比較しての殺傷率という点がげんなりする。上記の事例は何日持ちこたえたかというのが重きを置いていおり、殺しの効率を善戦の証としてはいなかったようだが……。(テルモピレーは少し違ったかも知れない)
少々、関係ないが、アラモ砦とは別に味わい深い一文を上の書籍から見つけたので転載する。
 
私が気にっいっている記念碑の一つに、テキサス州サンアントニオのアラモ砦から遠くないところにあるサミュエル・ゴンパーズの像がある。像の下にはゴンパーズの演説からの引用がある。
 
 労働者の望みは何か。
 学校が増え、刑務所が減り、
 本が増え、銃が減り、
 知識が増え、悪徳が減り、
 余暇が増え、貪欲が減り、
 正義が増え、復讐が減ること。
 そして、われわれの天性のよい面を養う機会がもっとほしい。
    1982年9月6日
    実践者に捧げる。
    彫刻家ベティー・ジーン・オズボーン
 デイヴィー・クロケットら、アラモの英雄たちに敬意を表しようと、毎年何千人もの観光客がサンアントニオを訪れるが、その中に、途中しばしば時間を割いてサミュエル・ゴンパーズの声に耳を傾ける人がどのくらいいるかは知らない。その人たちの中に、私と同じようにゴンパーズの穏やかな言葉を、アラモに象徴される戦闘精神の毒を抑える薬としてぴったりだと感じる人がいればいいのだが。テキサスのど真ん中にこんなに近いところ、愛国的な誇りの聖地にこんなに近いところで、静かな理性の声を耳にするのは新鮮な驚きである。
 サミュエル・ゴンパーズは、アメリカ労働総同盟の創立者にて初代会長だった。アメリカの労働運動がカール・マルクスイデオロギーに支配されたヨーロッパの運動と袂を分かったのは、主にゴンパーズの功績である。ヨーロッパの労働運動の指導者たちは、プロレタリア革命を夢見ていた。一方、アメリカの労働者大衆は革命には関心がなく、主に高い賃金と経済的安定を夢見ているということをゴンパーズは理解していた。コンパーズはイデオロギーに対するプラグマティズムの闘士だった。一般的法則として、プラグマティズムによって推し進められる技術はうまく行き、イデオロギーによって推し進められる技術はうまくいかない。ゴンパーズの生涯は、もう一つの一般的法則の具体例となっている。それは、社会的正義はイデオロギーよりもプラグマティズムのほうとよく調和するというものだ。

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