2012年9月23日日曜日

2007-03-25 赤軍のドイツ占領と強姦についての元軍人の証言 編集CommentsAdd Star


 元軍人の証言。

 
 ドイツがわれわれに喜ばしい印象を与えた理由はもうひとつある。それは12、13の少女から老婆にいたるまで、われわれにいつなりとも愛の証を与えてくれる女性がたくさんいたことだ。今日、ソ連軍がドイツでおびただしい数の強姦を犯したという主張がある。だが私がこの眼で見た事実によれば、それはおかしな話だ。もし強姦された事実があったとして、われわれがドイツに侵攻したとき、ドイツの女たちはほとんどみんなもうとっくに強姦されたあとだったからだ。大半において彼女たちは性病にかかっていた。わが軍では、強姦は軍法会議送りと決まっていた。性病にかかったものは後方に送られ、そこで強制的に治療を受けさせられた。私は性病患者で満杯の列車を見たことがある。梅毒患者の車両は外から閂がかけられ、窓も隙間も鉄条網で塞がれていた。村でわれわれが住民の家に泊まることになったとき、家の主は自分から娘と孫娘とをわれわれに提供した。彼が手にしていた紙片には、それまでに彼の「もてなし」にあずかった者たちの署名があった。ドイツ人は、自分たちがヒトラーの共犯者であると感じ、またドイツ軍がソ連で働いた犯罪行為に対して自責の念をもっており、ソビエト兵も当然同じように振舞うだろうと思っていた。再現のない彼らの親切心は、まず自分たちの女性の肉体を提供することから始まった。わが兵士たちがこの機会を逃すわけはなかった。病気にかかった者は数えきれないほどだった。
 ドイツ領内での私の勤めは、ある悲喜劇的なエピソードで始まった。私が多少ドイツ語がわかることから、ドイツ女と艶事の取引をしたがる将校たちから通訳してほしいと頼まれた。その最初が師団の政治部長だった。私は彼に非常に美しい女性をひとりひき合わせてやったが、彼女はそれまでに何人もの若者に淋病の恩恵を施していた。最初の症状が現れると、この部長は特務部に私のことを訴えに行ったため、噂がまたたく間に広まった。そして、「ジノヴィエフがK部長に淋病勲章を授けた」というので、連隊中が笑い転げた。
これは、実際に「現場」を踏んだ元兵士の証言である。悪名高き旧ソ連赤軍の当事者が大量強姦を否定している。だが、旧兵士の言をもって、大量強姦の事実を否定できるだろうか。
 慰安婦問題においての情報戦の戦士たちは「侮日」には敏感だが、せっせと集めた旧軍人・軍属の当時の証言の中から漏れる「侮女性」には鈍感極まりない。まあ、戦士であるからには、「わがほう」と「やつら」を厳然と区別する党派精神をも装着されたのであろうが、対外印象的にははっきりいってドンビキです。
ちなみに、このジノヴィエフはソ連全体主義を「ホモ=ソビエティクス」の名で痛烈に批判した作家であり、当時は亡命して、回想録執筆時にはミュンヘンに滞在していた。だから共産党のプロパガンダという枠内に収めることは無理筋だ。
個人として、また公民としては今回の動きはただでさえ難しくなる今後の日本の舵取り上、困ったことになると感じている。だが、一方かつての女の子たちの悔しい思いがそのまま忘却の彼方に埋め込まれなかったことはひとつの正義であるかなとも思う。だから、品位をもって日本の立場を主張する雪采氏、カワセミ氏のプロトコルに則ったこの問題への日本の身の処し方を支持したい。
(「諸君」のヒット企画「こう言われたらああ言い返せ」で外交が回っていたら共産主義ファシズムがなくても世界大戦が何度おこったか知れない。コンゴやエチオピアが当たり前に広がる世界は好きじゃない)
 河野洋平氏を嫌いな人も、彼の語り口には学ぶべきだ。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_d9fe.html
河野洋平氏は次のように応答している。
 「なるほど。私は残念ながら意見を異にします。この程度のことと言うけれどもこの程度のことに出くわした女性一人一人の人生というものを考えると、それは決定的なものではなかったかと。戦争なんだから、女性が一人や二人ひどい目にあっても、そんなことはしょうがないんだ、というふうには私は思わないんです。やはり女性の尊厳というものをどういうふうに見るか。現在社会において、戦争は男がやっているんだから、女はせめてこのぐらいのことで奉仕するのは当たり前ではないか、と。まあ、そうおっしゃってもいないと思いますが、もしそういう気持ちがあるとすれば、それは、今、国際社会の中で全く通用しない議論というふうに私は思います
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20070316

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