2012年9月23日日曜日

2007-04-15 再度巡回日記追記 編集CommentsAdd Star


地を這う難波船
都知事選に関する分析が考えさせる。その他の論説も練り上げられた文脈構造。
しぬまで生きる
ビジネス書を中心にCBSドキュメンタリーなどのコンパクトな解説
チェルノブイリ女性ライダー一人旅
チェルノブイリ無人地帯という究極の廃墟バイクの記録
アルメニア人ジェノサイドの記録
ソビエトが存在していた時、大地震もあり15共和国中一番関心を抱いていた国アルメニア。ただ、内容は日本人の海外贔屓の一番悪いパターン。完全な同調化と敵概念の同一化が起きてしまっている。その意味でアイルランド萌えは極端な反英にならないという例外的な事象かもしれない。
国家鮟鱇
勝ち誇らない保守主義者の論説
シートン俗物記
有人宇宙飛行を無意味と斬った論説以来のファン。ツーキニスト。
朝のガスパール
研鑽する若き文化エリート。享楽に勤しむジェット族もあれば彼のような存在もある。
アメリカ映画/TVノーツ
アメリカ連ドラ他の解説。
理事長日記
NPO主催者。人生の先達としての意見貴重。
連載ビジネスコラム
ネタのタネ
豆ちゃん
夢想飛行―伝統的保守
ダブルスタンダードを許さない美学を持った保守の論説
白土茂雄(アジア・ロジステイックス考)
考えるための書評集
宇宙政策シンクタンク 宙(そら)の会
青木節子先生 懐かしいなあ。
福間晴耕(Seikoh Fukuma)氏のブログ
暗闇の海底で見る夢哲学的考察

2007-04-09 嫌いな言葉 警戒してしまう言葉 編集CommentsAdd Star


ミリタリズムの歴史より引用③
ノーブレス・オブリージ、この言葉は特権なかんずく世襲的特権を正当化するものとして、私の立場からいえば「敵陣用語」である。
中世以来の「戦うヒト」「祈るヒト」「耕すヒト」の3身分制を淵源とすることば。この言葉を嬉々として語る連中があまりに多いのにはうんざりさせられる。そして、その際の実証(戦うときというのが何時返済されるか判らない手形のようなものだから実例は少ない)として頻繁に挙げられるのが、第一次世大戦でのイギリスのパブリックスクールのジェントリ層・貴族層が高い戦死率を示した事例。
私はその真偽を知らない。ただ、イギリスにおいては、戦争の進展とともに、所得税相続税ベヴァリッジ報告といった、社会史主義的な再分配の制度が進展したことからみて、この高貴なる階級が、国事多難な折に身を捨てるという図式は完全には信用しがたい。
それに、貴族層が、平時の大見得を裏切った実例も無いわけではない。

 それゆえにドイツでは、封建制以後の貴族層に関する古き物語は、軍政史のなかに消えることなく続いていた。だが、この貴族層が第一次大戦の指導上で果たした役割は、期待にかなったものではなかった。大戦では戦死者数は全体としては名誉ある高い比率を示したが、貴族の場合には、あまりに多くの貴族が騎兵将校となっていたので、最大限まで実戦に参加することはなかった。そして騎兵隊ならびに騎兵将校たちが蒙った戦死者数が僅少であったことは、彼らが戦時中にわずかな貢献しかしていなかったことを明々白々に立証していた。たとえば、もっとも高名なドイツ近衛騎兵諸連隊における将校386名のうち―彼らのほとんどが貴族―、43名しか戦死しておらず、そのうち9名だけが所属連隊の将兵とともに戦死したにすぎなかった。
C.W.ゲスラー 『Offizere und Offizerekorps der alten Armee in Deutschland』(1930)70Pより

TezTez 2007/04/12 01:07 こんにちは。
オーウェルに言わせると、当時の英国の支配階級は善良で愛国的だったということです。ところが彼らは19世紀以降は有産階級・金利生活者になってしまっていて、生産的な役割を担わなくなったのだが、善良であるがゆえに自分たちを寄生虫だと思いたくなくて「愚鈍への逃避」に走った、と言っていました。
それで、アホだから新しい戦争に対処できないと批判していますが、例によって戦争では進んで死ぬことを以て英国支配階級は「道徳的にはかなり健全」な連中だと言ってました。
そして「彼らは悪人ではない。と言って言い過ぎならば、かならずしも悪人ではない。ただ手のつけられないばかなのだ」と結論しています。オーウェルに言わせると、英国の戦争はバカな支配者のせいで負けて、中産階級と労働者階級が死に物狂いで挽回するというものであるそうで、そういう意味では労働者階級に依存するところが歴史上もっとも大きくなった時、十分な見返りを用意して労働者階級に協力を求めたのでしょう。
それにしたところで、ナチの総動員体制に対抗するためのもので、敵の力を思い知らされて初めて福祉に手をつけたというところでしょうが。国家社会主義に立ち向かうにはある程度社会主義的な政策が必要なはずですが、オーウェルいわく支配階級はそれを「理解できない」。
愛国者で社会主義者のオーウェルの支配階級観はかなり複雑です。自分がイートン出でイートン的行動様式を内面化させていたせいもあるでしょうけれども。
一方日本で「ノーブレス・オブリージュ」を語る連中は氏素性は明らかではないし、何より試験で成り上がったり偉くなっている連中なので、決して無能ではないですが、バカでないがゆえにしばしば民を欺きます。全然ノーブルではないと思いますね。
長々と失礼しました。

2007-04-03 ミリタリズムの歴史より引用② 編集CommentsAdd Star


いうまでもなく過去は現在とは歴史的諸条件が異なり、単純な類推や二重写しは戒めねばならない。
ズガビーン。私の記述の一番の痛いところだ。歴史的事象からピンセットのように傾向的に採取する。それが通念への反発に由来するとはいえ、論証的吟味の過程を経ていないから、あまり論説的意義を持たない。
 わかっちゃいるのだが。イスラムユダヤの宗教教育もしくは漢文素読でもいいが、音読というのは、論理的思考の整理に役立つという。せっかく一人部屋があるのだ。これから試してみるか。
 
ファークツのミリタリズム論の特徴は一言にしていえば、戦争と軍隊についての軍事的方法一般とミリタリズム的方法との区別を基本的で決定的なものとしている点にある。前者は、戦争に勝利するための合理的ないし科学的配慮をともなった直接的な技術であり、後者は階級(カースト)と儀式、権威と信仰という特質を帯びつつ、本来の軍事目的をこうえて、政治、経済、社会、文化の全領域における軍事的思考の強調となってあらわれる。さらにミリタリズム的方法は、前者=軍事的方法の諸目的を妨げ、その科学的性格を拒絶するに至るのである。ファークツは、このような軍隊による人間と器材との利用の、区別された二つの方法、という視点を一貫して貫きつつ叙述を展開している。しかも、このことが、封建騎士団の時代から説き起こしつつ、職業的常備軍の時代、徴兵制に基づく、大衆軍隊の時代へと近代ミリタリズムの発展の様相を追いつつ、現代の全体主義的ミリタリズムにまで説き及んでいる。またミリタリズムを、たんに軍部主導のそればかりでなく、文民主導のそれにも視野を広げて論述している。
 たとえば、ファークツはノヴァーリスの言葉を引用しつつ、「ロマン化するということは、凡俗なものに崇高な意味を、陳腐なものに神秘な相貌を、周知のものに未知なるものの高貴さを、有限なるものに無限の外観をあたえることである」として、古来、ロマン化という心的作用が戦争・軍隊の賛美・肯定の論理と心情を生み出す事情を明らかにしている。また戦争がしばしば「人間性の名において」敢行される状況描写もしている。
また軍人というものがどのようなメンタリティーをもち、それがどういう状況のもとで政治の領域にまで進出してくるかといった叙述も、現代における軍人の動向を考える際に、具体的な教訓事例となっている。
若干の将校団の気質、思考、行動は、ほとんどいつの時代、どこの国においても、封建制以後の貴族階級の観念、感情、属性の複合物の影響を大きくうけてきた。その貴族意識は、騎士道に従って獲得されてきたものであり、希薄化し変化しているとはいえ、基本的には騎士的なものである。その複合物全体は、出生貴族あるいは「創出された」貴族を通じて、さまざまな君主政体のなかに拡散してきた。団体精神や武装集団の団結性、従ってその親密性―その構成員はその他のどの社会層よりもいっそう危険と死にさらされていた―は、名誉観念のうえに、すなわち、内部志向性と排他性のうえに打ち立てられ発展してきた。それは階級が高いほど厳格さをましていた。その階級は、本質的には騎士階級に、中世にさかのぼりうるものである。しかもその中世は、アナトール・フランスが『赤い百合』のなかで述べたように、歴史の手引書のなかだけに存在するのでなく、どこの国でも終わりを告げてはいないのである。
 アルゼンチンではペロン主義が、軍部と労働運動との同盟のなかから形成された。これは黒色あるいは褐色のシャツの代わりに、「シャツなし」(都市貧民の別称)であった点を除けば、あのナチス党を連想させるものであった。ここでは栄誉の大半は軍隊のものとされた。しかも軍隊は、1870年以来戦争を経験していなかったにもかかわらず、その「もっとも名誉ある地位」は、「絶対的な神的価値」に値するものとされ、同時に軍隊の守護神「慈悲の処女」の名のもとに名誉ある将軍の地位が与えられた。
このような確執は、文民たちの不決断によって長引かされた。たとえばマッカーサーの極東における最高責任者としての地位をめぐる争いがそうであった。ワシントンが彼に対して抱いていた畏怖の念は、朝鮮戦争をめぐって文民統制を有効に擁護することを妨げた。そしてつぎのような彼の発想がいきわたるのを許容していた。戦争を開始するときには、「重視すべき主要点は統帥関係の均衡であり、構想の均衡であるが、決定的段階に達した瞬間には、軍人の統帥権である」と。こうした発想が全面戦争への危険をもっているということについては、すぐにはだれも理解しておらず、大統領―このような戦争の拡大化を望んでいなかった―も遅ればせながらマッカーサーを召還した。そして事態の処置が遅れたことの償いをそっけない言葉で埋めあわせた。「貴官は任用されたのであり、しかして貴官は罷免される」と。これに対するマッカーサーの反応は抗議の形態をとってあらわれた。彼は大統領の見解―「わが軍隊の構成員たちは、行政府が擁護することを誓っている国家や憲法よりも、その時点に行政権を行使している人々に、まず第一に忠誠を誓っている―を、新たな、これまで知られていない危険な考え方だ」として抗議したのである。
 マッカーサーは、憲法についてのあらゆる危険な解釈を大いに主張した。また「たかが」文民という言葉―これはかつての将校たちが「かりそめの」ジェントルマンを軽蔑の対象とした時代からの歴史的な態度―への共鳴の声もあげていた。しかし、このとき彼はもはや現役ではなく、どうみても彼一人孤立しており、カップ一揆でのゼークト、また1914年のカーラ平野における反乱に際してのイギリス将校たちのような重大な事態をもたらさなかった。それにしてもこのような彼の見解は、1945年以後のアメリカにおけるミリタリズム的思考が到達した頂点を示すものであろう。
 だが古風な平和主義者、社会主義者、自由主義者は、まるで旧敵なしではすまされないかのように、アメリカ政治において防衛問題や軍人にあたえている大きな比重を危険視していた。たとえば、ウィリアム・O・ダグラス判事は、「われわれは軍人に用心しなければならないだろうか」と問いを発し、この自分の問いを肯定し、次のように言った。「今日、われわれが軍人に気兼ねをしているために、わが国の歴史におけるいかなる時代よりも彼らと論争し、議論し、彼らを説得しうる余地はせばめられている」と。アメリカの教育者たちは、「軍の知的担い手たち、すなわち政策を決定し、権力を方向付けている軍内部の知的部分をとくに非難した。この権力の方向付けは、第一はあらゆる物質的諸手段の絶対的一元化、第二は征服地を拡大しない場合は現状維持という二つである、とされた。また古い世代に属する教育者エドワード・C・リンデマンは、「冷戦」のなかにあってつぎのように指摘した。「ミリタリズムが、軍事教練を通じて青少年の生活における不可欠の諸要素の一つとなることが期待されている」と。この冷戦という宣戦布告なき戦争におけるアメリカの戦略は、共産主義の膨張に対抗することにあった。ところが最大の軍隊を構想し、膨張させつつあるのがほかならぬ共産主義であるとすれば、それへの対抗戦略は、中立国や同盟国の側から見ても、「ミリタリズムと帝国主義という重荷」とアメリカにお背負わすことになると思われたのである。
 ミリタリズム―従前通りにそのような呼称を与えている人々がある―は、耐寒性の多年生植物のように、かつでの地域におけるよりも、さらに多く新しい思いもかけない地域に再生した。
 反枢軸同盟の内部に見解の相違が侵攻するとともに、ミリタリズムという言葉は、相手側に投げかけられる誹謗語となった。
 実際、戦争を終結させることは困難な問題であり、職業軍人には手に負えるものではない。ノルウェー伝説の一つのなかで、民間伝承の語り手がつぎのように述べている。
「この王は自分に忠告するものはだれであれ容赦せず、自分を喜ばすこと以外に耳にするのを好まない。……しかし、われわれ農民は、汝、オーラフ王が平和をもたらすことを望む。もし汝がわれわれの願いを叶えようとしないならば、われわれは汝を殺害し、平安なき不法なる状態をもはや黙視しないであろう。これは、わが父祖たちが行ってきたことである。わが父祖たちは、近くにある井戸のなかに五人の王を投げ入れた。これらの王たちが慢心し、法に背反する行為を犯したからであった」
 将軍たちは、優柔不断であり、ホッブスがいう競争の条件下にあって再現された恥辱に思い悩むだけであった。このホッブスがいう競争の条件とは、「どんな所有であれ、どんな行為であれ、どんな性質であれ、力の証拠としるしとなるものは、名誉あるものである」(『リヴァイアサン』10章)、という状況である。
 フランスにおいては将軍や提督ははるかに深く政治のなかに足を踏み入れていた。彼らは、政治上の最高責任者を、つけあがらせてはいけない知ったかぶりの馬鹿者、無意味な演説ばかりしている奴、唯一の有用なはずの役割―陸海軍のための予算を議会から引き出すこと―の点でも、いつもはなはだしく役立たずな奴」とみなしていた。

2007-03-30 ミリタリズムの歴史より引用① 編集CommentsAdd Star


 敗北と同じように不快きわまる
 伝統的なものに深く湯浴みしていたマッカーサーですら、将来の戦争に備えるために、アメリカの社会や経済をミリタリズム化しようという企図はけっしてもっていなかった。戦争にたいするアメリカの軍事的準備は、アメリカのミリタリズム化をめざしたものではけっしてなかった。参謀総長としてのブラッドレー将軍は、共産主義者がヨーロッパとアジアのすべてを略取したならば、どうしたらよいかという問いに対して以下のように考えた。「われわれはアメリカを100-150年間も完全にミリタリズム化しなければならないだろう。しかしそれは敗北と同じように不快きわまるものであろう。アメリカは、ミリタリズム国家への希求を憎悪しているがゆえに、アメリカが西半球に押し戻されるような事態を断固として拒否するであろう。

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2007-03-29 政治サスペンスのコンテンツ幾つか 編集CommentsAdd Star

30数年生きてきて、今までに嵌ったポリティカルを素材にした商品の紹介


光と影のバラード [DVD]
苺とチョコレート [DVD]
独裁 [VHS]
ダンス オブ テロリスト [DVD]

アンダーグラウンドを描いた監督の『マニフェスト』も外しがたいが、ここには出てこない。
そして、もう一度見たいというのが、89年ごろにやっていたフランス革命期のルイ16世の家族を描いた連続テレビドラマ。
なんだったか、名前は忘れた。エベールがジャコバン側の悪役として出ていた。
また、ドイツ統一時を扱った各国間の政治ドラマ(純粋アフリカンではないライス現国務長官がブッシュパパの若き国務省顧問として出ている。なんとアフロヘアで。対峙役は8月クーデター時に自決したアフロメーエフ元帥。東ドイツの政権党の幹部たちが、コールの出迎えにエルフルトに文字通りすべての人間が駆けつけたのを知り、「終わったな」と諦め顔で党員バッジを外す瞬間が白眉)が又、見たい。確かドイツ公共放送が作ったドラマだったと思う。
そうそう、イギリスの保守党院内総務を『リチャード3世』ばりに扱ったテレビドラマ。これも又見てみたい。非常に老成した印象を与える俳優なのに、批判的なジャーナリストの口を封じる為に、彼女と関係を持つ(しかもそれを院内総務の妻が唆す)など悪役全開な記事。
crow_henmicrow_henmi 2007/03/26 00:15 「野望の階段」(http://www.mystery.co.jp/program/yabou.html)ですね>イギリスの保守党院内総務を『リチャード3世』ばりに扱ったテレビドラマ。
 これはかなり評判が宜しいようで。ぼくは見たことないんですが。ちなみに主人公は佐藤大輔「地球連邦の興亡」の連邦首相役のモデルらしいです。

arkanalarkanal 2007/03/28 02:47 どうも。ありがとうございます。それです。今は無理ですがなんとか都合をつけて見ようと思っています。

2007-03-25 赤軍のドイツ占領と強姦についての元軍人の証言 編集CommentsAdd Star


 元軍人の証言。

 
 ドイツがわれわれに喜ばしい印象を与えた理由はもうひとつある。それは12、13の少女から老婆にいたるまで、われわれにいつなりとも愛の証を与えてくれる女性がたくさんいたことだ。今日、ソ連軍がドイツでおびただしい数の強姦を犯したという主張がある。だが私がこの眼で見た事実によれば、それはおかしな話だ。もし強姦された事実があったとして、われわれがドイツに侵攻したとき、ドイツの女たちはほとんどみんなもうとっくに強姦されたあとだったからだ。大半において彼女たちは性病にかかっていた。わが軍では、強姦は軍法会議送りと決まっていた。性病にかかったものは後方に送られ、そこで強制的に治療を受けさせられた。私は性病患者で満杯の列車を見たことがある。梅毒患者の車両は外から閂がかけられ、窓も隙間も鉄条網で塞がれていた。村でわれわれが住民の家に泊まることになったとき、家の主は自分から娘と孫娘とをわれわれに提供した。彼が手にしていた紙片には、それまでに彼の「もてなし」にあずかった者たちの署名があった。ドイツ人は、自分たちがヒトラーの共犯者であると感じ、またドイツ軍がソ連で働いた犯罪行為に対して自責の念をもっており、ソビエト兵も当然同じように振舞うだろうと思っていた。再現のない彼らの親切心は、まず自分たちの女性の肉体を提供することから始まった。わが兵士たちがこの機会を逃すわけはなかった。病気にかかった者は数えきれないほどだった。
 ドイツ領内での私の勤めは、ある悲喜劇的なエピソードで始まった。私が多少ドイツ語がわかることから、ドイツ女と艶事の取引をしたがる将校たちから通訳してほしいと頼まれた。その最初が師団の政治部長だった。私は彼に非常に美しい女性をひとりひき合わせてやったが、彼女はそれまでに何人もの若者に淋病の恩恵を施していた。最初の症状が現れると、この部長は特務部に私のことを訴えに行ったため、噂がまたたく間に広まった。そして、「ジノヴィエフがK部長に淋病勲章を授けた」というので、連隊中が笑い転げた。
これは、実際に「現場」を踏んだ元兵士の証言である。悪名高き旧ソ連赤軍の当事者が大量強姦を否定している。だが、旧兵士の言をもって、大量強姦の事実を否定できるだろうか。
 慰安婦問題においての情報戦の戦士たちは「侮日」には敏感だが、せっせと集めた旧軍人・軍属の当時の証言の中から漏れる「侮女性」には鈍感極まりない。まあ、戦士であるからには、「わがほう」と「やつら」を厳然と区別する党派精神をも装着されたのであろうが、対外印象的にははっきりいってドンビキです。
ちなみに、このジノヴィエフはソ連全体主義を「ホモ=ソビエティクス」の名で痛烈に批判した作家であり、当時は亡命して、回想録執筆時にはミュンヘンに滞在していた。だから共産党のプロパガンダという枠内に収めることは無理筋だ。
個人として、また公民としては今回の動きはただでさえ難しくなる今後の日本の舵取り上、困ったことになると感じている。だが、一方かつての女の子たちの悔しい思いがそのまま忘却の彼方に埋め込まれなかったことはひとつの正義であるかなとも思う。だから、品位をもって日本の立場を主張する雪采氏、カワセミ氏のプロトコルに則ったこの問題への日本の身の処し方を支持したい。
(「諸君」のヒット企画「こう言われたらああ言い返せ」で外交が回っていたら共産主義ファシズムがなくても世界大戦が何度おこったか知れない。コンゴやエチオピアが当たり前に広がる世界は好きじゃない)
 河野洋平氏を嫌いな人も、彼の語り口には学ぶべきだ。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_d9fe.html
河野洋平氏は次のように応答している。
 「なるほど。私は残念ながら意見を異にします。この程度のことと言うけれどもこの程度のことに出くわした女性一人一人の人生というものを考えると、それは決定的なものではなかったかと。戦争なんだから、女性が一人や二人ひどい目にあっても、そんなことはしょうがないんだ、というふうには私は思わないんです。やはり女性の尊厳というものをどういうふうに見るか。現在社会において、戦争は男がやっているんだから、女はせめてこのぐらいのことで奉仕するのは当たり前ではないか、と。まあ、そうおっしゃってもいないと思いますが、もしそういう気持ちがあるとすれば、それは、今、国際社会の中で全く通用しない議論というふうに私は思います
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20070316

2007-03-24 みんな貧しかったわけではないでしょう 編集CommentsAdd Star


http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/httpwwwkahokuco.html
 この案件に関して、少し緻密に書いてみる。
 東北地方のブロック紙『河北新報』に興味深い記事がある。「時よ語れ 東北の20世紀22 わかれっぱ/壱千参百円 望郷の念売り払い 苦界に沈む」と題された記事である。昭和初期の「娘の身売り」の風景が紹介されている。こうした「娘の身売り」の風景を知る上では、古来、冷害と飢饉が続発した東北の実情を知ることが前提である。
 「冷害・飢饉の歴史年表」という資料を観ると、青森県八戸市一帯では、明治以降、昭和二十年までに限っても十四度の凶作の時期がある。ほぼ五年に一度という頻度である。昭和初期、一九三〇年代初頭には、連年の凶作に金融恐慌が重なったために、状況は一層悲惨になった。だから、往時の東北の農村では、女児が誕生することを歓迎する雰囲気があったそうである。「男なら結局、兵隊に取られるだけ…。女なら身売りに出せる…」という理屈であった。往時の東北の農民は、それほどまでに貧しかったのである。因みに、昭和十六年、日米開戦の年は、「皆無作」である。「こんな状態で、よくぞ
戦争をやろうと思ったものよ…」と率直に思う。時代は下って、平成五年は「皆無作」だったようである。
 雪斎が八戸の小学生の頃、社会見学のコースとして設定されたのは、最初は「対泉院」という寺院に行き、次に魚市場に行き、最後に臨海工場群に行くというものであったと記憶する。「対泉院」には、江戸後期、天明・天保年間の飢饉の際の惨状を伝えた碑文があり、その碑文には、「人肉も食べた」という趣旨の記述があったはずである。要するに、「昔は、これだけ酷かったけれど、今は豊かになりました。がんばりましょう」という趣旨のプログラムだったと思うけれども、当時の雪斎には、ただ「飢饉の際のおぞましさ」だけが印象に残った。今は、本当に「貧乏だけは嫌だな…」と思う。故に、雪斎は学生の時分に「併合後の朝鮮半島に大々的な資本投下が行われた」という事実を知り、「何故、朝鮮半島に回すカネがあるなら、東北地方に回さなかったのか…」と訝ったことがある。
確かに、当時はみんな貧しかったんだよと、うなずいてしまいがちな文章ではある。だが、すべてが貧しかったわけではなかった。東北はその冷害が頻発していた時分からしても、西日本より常に貧しかった(白河の北は一山百文)のは確かだ。だが、没落層が出現することは、富裕層の蓄積を妨げるものではない。経済にフィクションを持ち出すのは反則だが、『シンセミア』などはこの種の事柄については絶好の教材だ。
もっとも日本で有名な豪農の本間家がいたのは山形県である。むしろ、零落した層がコントロール可能なマスとして存在するなら、企業家精神の持ち主にとっては飛躍の踏み台になりうる。(現在においても、多重債務者(9割以上は自業自得とは思うが)を糧に資本蓄積に成功したオモテ&ヤミ金融(消費者金融に私は違いを見出さない)、非典型的雇用労働者を活用した人材派遣業者(私はあの野放図な新規参入の大群が行われていることからして、十分な競争環境が出現していないと考える)など現在においても同じみなことだ。
 もちろん、貧しいものを食い物にしてと繰言を述べる気はない。私のイデオロギーリバタリアン同様、「国がきちんと」という政治的サンタクロースに対しては、懐疑的。とはいえ、対中クールビズの雪賽氏には十二分の敬意を払いつつも、上のような言説を眼にすると、私のなかの皮一枚剥いだ「毛むくじゃらの」ボリシェビキが顔を覗かせて、囁く。「マスサラクシ!」「ナッツ!」と
 雪賽氏が紹介した同時代の東北の素封家の暮らしぶりを今に伝えるものが観光資源として公開されている。現在となってはアンティークだが、当時の最先端の物品はすべて買い揃えることが出来た階級が日本にいたことを示している。私は、4年前にこの素封家のかつての金に糸目をつけないコレクション(ひとつの分野ならまだしも、これがまた手当たり次第の分野に及ぶのだ)を眼にしたとき、楽しみながらも、憤怒を感じた。

旧家の町並みと桜の名所で有名な角館のある素封家の戦前のコレクション
http://www.samuraiworld.com/facilities/index.html

雪斎雪斎 2007/03/20 05:36  お読み頂きありがとうございます。
 酒田・本間家の富は、大阪での米投機の結果として得られたものですから、あれを一般化するのは難しいでしょうね。
 東北といっても、羽州と奥州とでは事情が違います。羽州は日本海を舞台にした交易の結果、裕福な商家が出現しましたが、奥州の場合は、そういう例というのは少ないのです。

arkanalarkanal 2007/03/20 18:01  雪斎先生。「東北 豪農」や「奥州 豪農」でぐぐってみましたが、秋田は本当に豪農が多いですね。初見でした。今の東北の雰囲気からすると、新幹線本線が通っていない秋田・山形が岩手・宮城に比べてミゼラブルな指数が強い気がしますが。当時との違いを痛感しました。でも、おしんの故郷のモデルは酒田なんですよねえ。
雪斎雪斎 2007/03/22 04:56  「おしん」も酒田だったから、商家に奉公に行けたのですな。これが太平洋側だったら、即、「遊郭」直行でしょう。
 因みに、太宰治の実家、津島家も津軽です。
 結局、伊達領、南部領というのが、大変だったようです。

crow_henmicrow_henmi 2007/03/23 07:34 南部藩においては津軽藩への対抗意識のためか、実高以上に石高を高く申告し、それだけの役を担っていたため、藩財政の悪さが住民の住みづらさと結びついた部分もあるかもしれません。あて推量以外の何物でもない駄文失礼しました。

2007-03-23 権力は最高の媚薬 編集CommentsAdd Star


ニクソン [DVD]
歴史家にも当事者にも不評だったが、オリバー・ストーンらしく重厚な歴史劇。
ニクソンの悲哀それに、母親役の決然とした演技、最後の告解などが好印象だった。
映画のなかで、米中首脳会談時に、毛沢東キッシンジャーに尋ねるシーンがある。

通訳「主席はお尋ねになっています。太った男性がそんなにもてる秘訣はなんですか?」
キッシンジャー(一瞬とまどうもののニヤリと笑って)
「さよう。それは権力ですな。権力は最高の媚薬です。女性はそれに敏感です」
そんなことを思い出したのは以下のブログを読んで
http://youkoclub.blog87.fc2.com/blog-entry-157.html#more
週刊誌に、二人の女性が夜伽にきている、とスクープされていた。政治家としての、品格が問われる、それ以前に、二股の時点で品格が問われる。
フランスの政治家の18世紀以来、保革問わず奔放な政治家の艶聞を、好意的に列伝で呼んでいた僕としては、あまり気にしない。だが、この種の過去や現在を持つ人物が、センシティブな問題について保守派のコピベ擁護文を語るというのがいただけない

2007-03-22 ナショナリズムというウイルスないしフクロムシ 編集CommentsAdd Star


この世界にいる誰もが、私を含めて、ナショナリズムというウイルスに感染しているんです。感染していない人は世界宗教とか革命イデオロギーとか別種のウイルスに感染しているんです。(『国家の自縛』より 佐藤優
生物学的な人口に膾炙した言葉を、自己の論説を下支えする材料として使うというのはありがちな似非科学だ。だから、このような自他を同一に客観視できる佐藤優という人物はやはり只者ではないなと感じる。
現在、政治・経済に権威付けのために流用されている言葉はDNA(日本人のDNA、トヨタのDNA)だが、これも数十年後にはファニーに映る恐れが多分にある。ナチの血統理論や骨相学。映画の『僕を愛したふたつの国』の中ではコメディに骨相学が取り上げられていて最高だった。
ともかく、隣国を貶めなければ自国ナショナリズムを語れない東アジアの哀しい構造を、十二分に知悉している筈の古田博司先生すらが、日本ナショナリズムの論壇戦士として身を投じるに至っている。まあ、時代精神というのはそういうものなのだろう。前世紀の30年代には『華麗なるギャッツビー』を書いたフィッツジャエラルドすら共産党への入党を希望した。社会主義リアリズムとはどう首をひねっても転化できない彼の作品が仇となって(今となれば幸運にも)断られたが。
私自身も、別種のウイルスに感染していることに自覚的であらねばならぬ。あえて、牽強付会であるが、以下の寄生虫を紹介したい。(多少グロではあるが、ご勘弁)寄生虫に人間が自己の精神・行動態様まで影響を及ぼすというのは、ありがちのテーマで幾多の作品がモノにされている。最近のヒット作は貴士祐介の『天使の囀り』か。
ここで、先日挙げた、類まれな論点整理者の過去回答からとても面白いコンテンツを見つけたので紹介したい。(AOLはすっかり過去の企業と思っていたが、なかなかFAQのレベルが高い。)
あまり知られていないがフクロムシというインセクトがある。宿主のカニをメス化して行動態様まで変えてしまう。いったん寄生すると体内からはみ出した部分をいくら切除しても、まったく効果がない。
『思想という名の毒薬』とは古田博司先生が、軽妙な文体の中に内容の濃いエッセイだったが、僕も貴方も寄生されているという文脈で捉えると、なぜあれほどの激情や冷笑にとりつかれるのかいささかなりとも理解できるような気がする。
私のなかに巣くっているフクロムシはどんなタイプなんだろうね。
http://www-es.s.chiba-u.ac.jp/paleo/topics/rhizocephara.html
http://homepage2.nifty.com/hukuromushi/hukuromusi_008.htm
(写真は結構グロイ)

そういいながらも、資金的に行き詰ったチャンネル桜が残存資本をかき集めて、失敗が約束された映画製作に向かうさまを見ると、それなんてマリアナ?(沖会戦、レイテでもいい)と残酷な喜びがこみ上げてくるのを否定できない。

2007-03-20 在外日本人ブログ集のつもりだったが方針変更して魅了ブログ集 編集CommentsAdd Star


選定基準。少なからず常連化してきたはてブに、私の知る限り(あくまで概ね)人気エントリーとしてリストアップされていなかったもの。重複したり、ネット上で同調するのは趣味じゃないので。
それに今までやりとりしたことがある方のブログ、エントリーで取り上げたことのあるブログ、丁度1年前に 私的十傑として取り上げたブログも除外する。理由はやはり重複を排除するため。
旦那方。こういったモノが読めるだけでも素晴らしい。多謝なり。
イスラエル在住(テルアビブ大学日本語学教授)
有事のしんどさと倦怠が見て取れる。強硬策も譲歩もとりようがないどん詰まりの状況。この国に比べれば、まだしも日本はマシとはいえる。ご子息の教育課程が、ユダヤ人らしく実践的で非常に興味深い。
ロシア極東在住の、日本語教師にして、元政党専従。
ハードライナーの社会民主主義者。ロイターやシューマッハといったSPDの強烈な個性を思い出して楽しい。
スウェーデン研究者。パルメか、懐かしいな。
カナダで翻訳その他コンサルをされている方。
この方の文章はネット風味の癖があるが上味い。イデオロギー的には対岸の方だがかねてより注目している。
蛇足(どんどん追加)
世界読書放浪
在外日本人ではないが、翻訳大国日本で、時間の許す限り、外国本を狩猟してくれている方のブログ
学校時代の親友
塩事業センターという暇そうな独行法のウエブ雑誌だが、レベルの高い知識人の論説
NHK職員にしてパトリオティズムを自覚的に装着している人
永井荷風のように、国内(内的)亡命をするなら、このように楽しく生きていきたい。
70年代前半生誕世代。敬服。
博覧強記のルネッサンス型万能知識人(理系への劣等感を刺激しまくり)
祖国から離脱したディアスポラが可能な時代。だが、ほとんどの人には無理だよ
武田徹先生。赤木さんを見出した彼にブロージット
この方も理系の知の巨人
地に足のついた左派
官公労もこういう人が多かったなら、もっと権威を保っていたのに。
同世代の学者。理系にしてお茶目
金融およびシステムに詳しい批判的理論投資家
東京カフェマニア
公園に行こう!!
私は秋の季節、多磨霊園を散歩するのが無上の悦楽なんです。
美味しそうな料理の写真。
無類のプール好きなもので……
野菜ジュースガイド
独立自営人兼投資家元テロリスト兼古神道
ハザール云々が最初にあるが、決してトンデモではない。
産経福島北京支局員
よく知られた古森、黒田氏だけでなく、斉藤(モスクワ)、山口(パリ)、松尾(ルート66の著者)など、産経の特派員はけんなみ精力的だ。特に物件法の、コメンタール風味のエントリーが地味でいい仕事をしていた。
ロシア映画評論家
ロシア映画に関する評論家。素晴らしい!!
決して罵倒や嗤いに走らないが切れ味の鋭い保守的視点からのブロガー
日華事変と山西省
毒ガス問題などセンシティブな問題について、徹底的に調べるが断言は避ける慎重な姿勢(歴史好きには稀有)。特に歴史から忘れ去られた人・事物に光をあてるのが好き。

2007-03-17 フランスにおける歴史認識問題 編集CommentsAdd Star


http://jetro-lyon.com/miura/tumamigui14.html
二〇〇四年に出たオリヴィエ・ペトレグルヌイヨの『奴隷貿易』Les traites négrièresが昨年、優れた歴史書に与えられる元老院賞を受けた。受賞直後の六月一二日のル・ジュルナル・ド・ディマンシュ紙にのったインタビューを読むと、著者はこんなことをいっている。奴隷制は古代からあったが、奴隷貿易は七世紀にはじまった。大西洋間の奴隷貿易がはじまる前からアラブ商人による奴隷貿易があったし、ブラックアフリカ内部での奴隷貿易もあった。トビラ法が問題にした一六世紀以後のヨーロッパ人による大西洋間奴隷貿易は、したがって奴隷貿易のグローバルな歴史の一部にすぎない。アフリカ人には奴隷貿易の犠牲者と奴隷商人の両方がいたのであり、黒人がすべて奴隷の子孫だというのは正確でない。トビラ法は奴隷制と奴隷貿易を人道に反する罪としたが、人道に反する罪はもともとホロコーストを対象につくられた概念だ。ホロコーストはユダヤ人の大量虐殺だが、奴隷制は労働力の搾取であって虐殺ではない。したがって奴隷制とホロコーストを同じカテゴリーに入れるのは不適当だ。

2012年9月22日土曜日

2007-03-16 強制連行の有無で 編集CommentsAdd Star


強制連行の有無で日本側の責任を否定できると考えているナイーブな人たちは、欧米において黒人奴隷に対して白人は責任を負っていないと主張する人々(現在の欧米にいないわけではないが、完全に政治的に周縁的存在。彼らとの連携?馬鹿な!)と、同類に映るということを弁えておいた方がよろし。
つまりだね、「そうだったのか!! 朝日に騙された」というような反応ではなく、「どっかで聞いたようなお馴染の言い訳だな」と受け止められる危険性の方が高い。
まあ、やるだけやってみればいい。無益な行いでも、何かしら人は学ぶことは出来る。
ただ、勝てはしない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93
誤解も多いが、映画で見られるような白人による黒人の奴隷狩りは、極初期を除いて行われていない。奴隷を集めて、ヨーロッパの業者に売ったのは、現地の権力者(つまりは黒人)やアラブ人商人である。映画「アミスタッド」のシンケのように、解放奴隷でありながら、アフリカに帰ると奴隷商人になると言うケースもあった。しかし、それをもってヨーロッパ人に罪はないとする主張もあるので、注意しなくてはならない。
--奴隷商人はみな、良心をもっていた。18世紀のなかばまでは、奴隷制度を国際的な大貿易にとって不可欠なものとして認める人が多かった。奴隷商人は、以下のように考えて奴隷制度を正当化した。奴隷制度はアフリカですでに存在し、奴隷は、黒人自身やアラブ商人によって売られている。それならば、ヨーロッパ人に買われるほうが得である。ヨーロッパ人のおかげで、文明に接する機会が与えられ、アフリカ内部で頻発している戦争にもはや巻き込まれなくてすむ。とくに、キリスト教に改宗することができるし、そのなかでもっとも賢い者は、自ら解放されるであろう!
  ジャン・メイエール 『奴隷と奴隷商人』
http://homepage1.nifty.com/ckasa/mp/mypense72.html

1966年版の歴史教科書「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」は、南北戦争当時、南部で広く論じられた奴隷制賛成論を2ページにわたって詳述していた。
「奴隷たちには満足な衣食住が与えられ、病人になっても年老いても面倒をみてもらえた。何よりも文明化という点で大きな利点があった。逆に北部の工場労働者たちは解雇の不安に常に悩まされ、工場主に搾取され、年老いたり病気になると捨てられた。この見方は大農園主に特に支持され、小農園主や奴隷を持たない小作農たちにも広く浸透していた」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-16-3.html
http://www.independence.co.jp/usa/acw/antebellum/1850.html
奴隷制をめぐって繰り広げられているアジテーションは、すでに重要な紐の幾つかを外してしまい、残り全部の紐も、かなり弱めてしまった。アジテーションが今のような状態で続くなら、紐はいずれ全部が外れてしまい、軍事力をもってする以外、州をまとめることはできなくなる。」
 カルフーンが言う「アジテーション」とは、W.ロイド・ギャリソンやルイス・タッパン、アーサー・タッパンらが強力に推し進めている奴隷解放運動のことである。ギャリソンが過激な文言で奴隷解放を主張する会員誌「リベレイター(解放者)」を発行して間もなく、ヴァージニア州でナット・ターナーの乱という奴隷反乱事件が起きた。何十人かの奴隷が集まり、周辺の農園主らを斧・棍棒などで惨殺して回るという恐ろしい事件である。「リベレイター」誌の発行と反乱との間は何の関係もなかったが、南部農園主の多くが北部の解放思想家らは奴隷反乱をそそのかしていると受け取ったのである。
http://72.14.235.104/search?q=cache:ipocftDCVZ4J:www.koma.econ.meisei-u.ac.jp/koji/_to_XMQq.html+site:www.koma.econ.meisei-u.ac.jp+%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93%E6%93%81%E8%AD%B7&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp
奴隷貿易擁護論の中心的な論点の一つは、奴隷貿易を禁止しても、アフリカ人を救済することにはならない、という点であった。1789年に匿名のプランター(以下では、A氏と表記する)は、アフリカの君主が怒りに任せて臣民を殺してしまうといった絶対的な法の存在や、奴隷貿易が始まるまでは、アフリカ人は戦争ばかりしていて、捕虜を殺していた点を指摘して、このような支配者の下で暮らすことは、自然の心情に反すると主張した。10)もちろん、イギリス人と同様、アフリカ人も戦争をしていて、捕虜を殺すこともあったので、全く事実に反するというものではないが、イメージ戦略のために事実をデフォルメして、他者(アフリカの君主)を悪く表現した。

精神的・性格的に、黒人は野蛮、不品行であり、嘘つきで、放縦、怠惰、復讐心が強く、盗みや賭け事が好きで、馬鹿げていて、鼻持ちならず、鈍感、意固地で、過ちを認めず、大食いであり、生意気、高慢、淫乱であり、本能的情熱・愛欲に翻弄され、野獣であった。そして、文化的・能力的に、黒人は愚かで、異教徒であり、扇情的なダンスを好むと主張された。
 自分と異なることを悪く評価するのが、差別意識の基本である。誰でも自分自身のことはよく理解できるため、自己中心的な人間の場合、個人的性格や社会体制に関する悪口は、相手の特徴を理解しているというより、鏡のように自分自身を明らかにしている場合が多い。この経験則を適用すると、西欧人自身の性格が浮き彫りにされる。






現在の価値判断で当時を裁くなという叫びは、日本においてサヨクをほぼ圧倒してきた保守派といえども情動の虜となり、この問題をひとつの「進捗」の一環であると泰然と受け止められないことを示していて、興味深い。私はある種の規範作成として「前方への突破」を図る論陣を主導することが、日本側の立場回復に益があると思うのだが、どうも「相殺論」「スティグマメソッド」「闇の執行部」説とロジック的に見ても益がない、泥の投げつけあいに終始している。
新たに規範が確立するに至った過程の参考事例
http://www.iswatch.net/Texts/Price.html
対人地雷は、最近まで通常兵器の一つと考えられ、機関銃や戦車などと同様、必要悪として存在が認められ、とくに問題視されることはなかった。なぜ短期間に新しい国際規範が生まれ、百二十カ国以上が対人地雷全面禁止条約を締結するに至ったのであろうか。プライスによると、対人地雷禁止規範を国家に受け入れさせるために、脱国家市民社会は次の四つの政治戦略(彼は、「教育技法(pedagogical techniques)」という言葉を用いている)を採ったという。(1) 情報提供による課題設定、(2) ネットワークの形成、(3) 既存規範への「接ぎ木」、(4) 立証責任の転嫁である。

国際社会には、リアリストの描く世界像とは異なって、国家以外にも無視できない行為主体が存在しており、非国家主体のネットワークが国家を内外から包み込むように形成されつつある。国際場裡(アリーナ)は物質的パワーのぶつかりあう場であるとともに、言説のパワーが強力に作用する場でもある。世界には意味が充填しており、規範という形で国家の行動を規制している。これまでも、ある時点まで許されていた行為に対して、規範によって禁止が制度化された事例は数多い。たとえば、海賊行為や奴隷貿易、稀少生物の取引、植民地支配などである

規範はひとたび確立すると不可逆的な効果を持つ(これを「進歩」と見なせるかどうかは別問題である)。リアリストは、当為(すべき)と存在(である)を明確に区別することを力説し、「すべき論」はユートピア的であるとして退けてきた。しかし、現実の国際政治には多くの規範が存在し、規範を直視しないことこそ非現実的であることを、われわれは二つの世界大戦と冷戦を経験したのち、再発見したのである
007-03-13 日本のオブス・デイ 編集CommentsAdd Star
この書籍の中で佐々氏が学生時代に組織した土曜会の記述が興味を引く。彼のこの10年の論説は正直「俺が俺が」の自慢話で食傷だが、若かりし時分は相当なシャープな精神の持ち主だったのだなと痛感した。
オブス・デイカトリックの中の団体。
制度の中の長征という西独の70年代の世代が行なったことにも通じるのかも知れない。