2012年9月22日土曜日

2006-04-05 時事―02 編集


時事―02CommentsAdd Stardimitrygorodok

高原基彰氏のブログ
サピオ誌に載っているような徹底検証(イヤな言葉だ。その昔のイデオロギー左翼の「本質を暴露」と同じく粗雑で結論の終着点が決まっている品の無い言葉)とは次元の異なる東アジアの青年層の意識の解析を試みている研究者。
中華思想とか共産党の洗脳教育といった手垢のついたキーワードではなく、21世紀資本主義の疾風怒涛(シュトルム・ウント・ドランク)にさいなまれる東アジアの若者たちの意識を探った本。
もちろん、新書が出たら購入するのだが、本日、自分へのご褒美としてこの高原氏の解析を補完するような視座の新書を発見したのを記録しておく。
「小皇帝」世代の中国 (新潮新書)
表題だけだと、凡百の反中本に思えるかもしれないが(新潮新書は石が多いし)、これがなかなか刺激的。著者の人柄と鋭い洞察力から出ているのだろう。
最初は、日本人に衝撃を与えた05年春の反日デモに参加した中国青年層の手記。『僕』という自称と繊細な観察眼が村上春樹チックでステキだ。無論、個が集団に溶解する悦楽(9年前に今は無き『新日本文学』が自由主義史観批判を特集したときにある論説の中に残っていた心に残ったフレーズ。こういう相手方のみのレッテル張りに終始しないフレーズの生命力は強い)もきちんと書かれている。笑いながら投石する暴徒という視点からの文章しか読めなかった身には啓蒙的だ。
少し、余談だが、ネット右翼の分析も、批判者の「徹底検証」が、日常の憤懣から攻撃衝動を求めてスパイラルを起こしているといった類の分析も、事の一面しか見ていないのではないか。そういった知性と品性に欠けるタイプもいないではないが、驚くほどの分析力と当然それを実社会でのポジションに結び付けていることが伺える人士のブログもある。侮蔑や冷笑を後ろめたさもなく「心底」から楽しむ一方で「泣ける2チャンネル」の画面上のスレを見て涙をこぼすのも同一の人物であるというような解析が欲しい。私がネット右翼の批判者に心情的に同調するだけになおのこと。

資本主義は所有欲に左右されるが、イデオロギーとしての価値基準も将来像ない。人間は不平等で当然だとみなす。資本主義思想の典型的な言葉は「人的資本」(human capital)、つまり人の能力を数値で表して金融資本や物的資本と同等レベルにおくことである。
H・シュミット 『ヨーロッパの自己主張』
まさに、その通り。この自由か浮遊かわからないが、流動性がますます高まる経済下部構造のもとで、各人は自らの人的資本を証明することに全精力を注ぐことを強いられる。中産階級として留まるためには、速度を増す「走るエスカレーター」に逆らって走り続けねばならない。「赤の女王の呪い」にわれわれははまっているのだ。個人的事情を申せば、本日私は転職先の最終内定を貰ったが、先方の会長、社長の目の奥には3ヶ月間の試用期間を乗り切れるか半々だなという心情がみてとれた。そのハードルを越えるために粉骨細心せねばならぬ。
 上のシュミット元西独首相の著作の述懐では、アメリカタイプとは異なるライン資本主義の自賛が続くが、そのセーフティー・ネットすら解体の時代局面にあることはライン川の両岸をみても皆承服せざるを得ない。
 そういった前提において、何故ナショナリズムがこれほど人びとの心情を捉えるのかという解析を読みたい。佐藤優元分析官は「この世界に住むわれわれは皆ナショナリズムというウイルスに感染しているのです」と喝破した。氏の痛快なところは、「感染していない人はイデオロギーとか世界宗教とか別種のウイルスに感染しているのです」と付け加えたところか。
言い方を変えれば、この浮遊資本主義にさいなまれる東アジア三国の若者たちを席巻しているナショナリズムを共通の土俵で分析する視点が欲しい。共産党の洗脳教育を原因とする言説は、では何故マルキシズムを共産党が若者に洗脳できていないのか説明しようとしない。洗脳なら可能なはずではないか。特殊日本の風土病的検証も特殊中国の風土病的検証も、いずれも跋扈しているが私には事のありようの一面しか捉えているようにしか思えない。
青樹明子氏自身もノマド的に自らのキャリアを形成していった人である。侮蔑と冷笑というアディクションにもはまらず、もはや生命力を喪った70年代~80年代風味の日中心の交流という視座でもなく、高原氏と同様の視座で現代中国の若者の悶々とした心情、苦悩、鬱屈をわれわれに届けてくれた。とりあえず、彼女の著作はこの半年で「大人買い」するつもりですからよろしく。
青樹明子 愛知県生まれ ノンフィクション作家、広東衛星ラジオ放送キャスター。早稲田大学文学部卒。1998年から北京放送に三年間勤務。著書に『北京で学生生活をもう一度』『日本の名前をください―北京放送の1000日』『日中ビジネス摩擦』
以下、心に残った引用

思うところあって、この秋から母校の大学院に入学することにした。社会人学生はすでに北京ですでに経験済みだったが、母校となればやはり懐かしい。
駅から学校まで続く商店街、朝の学バス、卒論を書いた図書館、昔ながらのお蕎麦屋さんや定食屋さん、校歌に応援歌、そして……、
不思議である。どうも楽しくない。それどころかキャンパス内を歩いていると、憂鬱な気分になってくる、
理由は明らかだった。学生時代の日々とともに、当時の感情までが甦ってくるからである。十代の終わりから二十代にかけての苦い思い。焦燥感、劣等感、嫉妬心、うらみつらみ。そして孤独感。青春とは何と苦いものなのだろうか。
中国の若者たちと、もがいていた自分の姿が重なってくる。自信に満ち溢れ、大きな夢を語る彼らが、時にふっと「何か苦しいんだ」とつぶやく姿に、胸が痛む。
しかも中国青少年たちの青春は、もっと苛酷だった。馬加爵を代表例とする貧困学生たち、プレッシャーに押しつぶされ、鬱病を患っていく若者、そして自殺するエリートたち。彼らの「苦悩する青春」は、私の学生時代を遥かに超えていたのである。
「もがく心」にアクセスするためにも、スレテオタイプではない、若者たちの姿を描き出したい。それが本書の出発点となった。
私も20代に、証券会社上層部の旧習墨守の索敵&撃滅方式でやみくもに新規開拓の営業マンとして回った街にはもう行きたくないな。中坊の自分、小学校での転居前の幼馴染が戻ってきたとき、憧れていたのにかかわらず、臆病で一言も口を交わせなかった中学校も敬遠している。先方は目で笑っていたような気がしたが。
「党治不了 非典(SARS)治了(党は治せない、SARSが治した)」というのは、もっとも有名な作品となる。人びとが家にこもり外出を控えたので、懸案の社会問題が消えてしまったことを風刺している。
「公費での飲み食い、党は直せず、SARSが治した。公費旅行、党は直せず、SARSが治した。売買春、党は直せず、SARSが治した。
 抗日歌曲が起源となる中国国家には替え歌が出現した。
「起て!感染を望まぬ人々よ!我らがお金で築こう新たな長城を!門を閉ざせ、街を閉ざせ、国を閉ざせ!」(原詞 「起て!奴隷となることを望まぬ人々よ!我らが血肉で築こう新たな長城を!進め!進め!進め!」)
「楽観的にそして闊達に」というサブタイトル付きで回ったのが「SARS、何種類もの死に方」である。中国人も日本人同様、もちろん「死」という言葉を嫌う。しかしこのショートメールに関してはみんなが笑い、緊張しきった神経を、つかの間でもリラックスさせたという。
以下その抜粋。
「SARS的機種死法―
 マスクで息を詰まらせて死ぬ。(予防のため)漢方薬を大量に飲んで中毒死。同僚が感染したと聞いて驚いて死ぬ。電車やバスに乗るのが恐くて毎日歩いて通勤し、疲れて死ぬ、SARSに感染したんじゃないかと心配し、鬱病になって死ぬ。ネットに流言をまき散らし、罵られて死ぬ。家ですることもなく、退屈して死ぬ。本当にSARSにかかる」
 普段なら相当きわどいジョークだろうが、何しろ極限状態である。政府系ネットも、「SARS期の時事民謡は庶民の疫病に対する楽観と闊達な精神を表している。必ず勝利するとの決意と自信の表れで、不屈なる民族の精神の反映である」と一応の理解を示した。
 ぎりぎりの極限状態で生まれたブラックジョーク。自分たちの不幸を笑い飛ばすというたくましさ。ここには弱い心も悲観も何もない。中国人の真骨頂を発揮しているようだ。
 そしてこの時期、ショートメール、ネットを通じて、中国人の連帯感が強まったのも事実である。
コピー機を許さなかったブレジネフ期のソ連との違い。

中国で先端技術を作るには、必要不可欠なものがある。頭脳と資金だ。
「これまでね、モトローラもIBMもエリクソンも、アメリカにいる優秀な中国人を使って研究をしていたわけです。だからアメリカ発の世界特許をばんばん打ち出すことができた。中国にしてみればおもしろくないでしょ、本来自分たちの国の人間なんだから」
 そりゃそうだ。
 優秀な若者がアメリカに行っちゃって、アメリカ人と組んで、アメリカの利益になるようなことをしている。中国としては忸怩たる思いがあっても不思議じゃない。
 そこで一生懸命サインを送った。
 君たち、戻って来いよ。うちに帰って商売しなさい。そのかわり、いっぱい優遇してあげるから。
 その結果、優秀な頭脳が中国へ次々と帰ってきたのである。そして政府の支援のもと、研究を続けたり、また起業したりし始めている。
 では中国人の頭脳と組んでいたアメリカ企業はどうしたのか。
「今度は彼らが中国にやってきたんです。そして同じように、中国の頭脳を使って研究を続けている。わかりやすい話です」
 アメリカのお金と中国の頭脳が組み、中国政府の優遇政策のもと、ITやバイオの世界で相当な研究を進めるという事態になった。
 一方日本はどうなんだろう。
 某経営コンサルタントが、ある日経企業駐在員にこんな提言をした。
「早くモトローラやIBMに負けない、立派な研究開発センターを作るべきですよ。そこに彼らよりいい待遇で中国の優秀な頭脳を取り込んだほうがいい。そうでないと競争に負けてしまいますよ」
 するとこんな答えが返ってくる。
「しかしなあ、なんでローカルスタッフに月5万元(約70万円)も払わなきゃならんのかねえ。現地採用者にとても高額なギャラは払えないよ」
「でもあなただって5万元の給料とってるでしょ」
「私は本社採用の日本人だからね」
 ここでコンサルタントは、キレそうになったとか。のど元から本音が出そうになるのを、必死に押さえたらしい。
「あんたより百倍優秀なんだから、あんたの百倍は給料払って当然なんだよ!」
 だってそうでしょ、と彼は言う。
「日本国内の支社と同じ感覚で中国に来て、高い給料もらって、メイド付きの大きい家に住んで、3~4念したら帰るっていう日本人、いっぱいいるでしょ。そんなのより優秀な中国人がなんで給料五千元(約7万円)なの?」
ノーマン・メイラーが在米中国人について、「どうやらわれわれよりも頭が良いらしい。ローマ帝国のギリシア人のように重責をあたえ、優遇してやろう。ただし、戦士としての政治的決定を下すのはあくまでわれわれ白人のアメリカ人だ」と批判的に『われわれはなぜ戦争をするのか』という著作の中で書いていたのを思い出す。NHKスペシャルでの女性工員を酷使する場面を、おそらく3桁以上反復し中国の強みは人権無視の「チープレーバー」と嘯く知事は残念ながら21世紀の現実を直視できていないようだ。これは藤原正彦氏も同様。

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