2012年9月22日土曜日

2007-02-24 中国のスペースデブリに対して 編集CommentsAdd Star


 http://gonzaburou.cocolog-nifty.com/blog/
今のたとえ話、高度差0という仮定は問題を2次元にしているので、ニアミスとする半径に対して比例する回数となります。
現実的な、高度方向に分布した3次元モデルだと、ニアミスとする半径の球の投影面積に比例、つまり半径の2乗に比例します。毎日新聞で紹介されたように、646個のデブリのうち10km以内に38回/年ですから、1km以内は100分の1の0.38回/年(2.6年に1回)。100m以内は260年に1回・・・・3m以内は28万年に1回です。

航空宇宙関係かつ物理学の素養がある人の意見が少なかったので貴重だ。軍事知識を有する人間はあまりにヒートしすぎの論説で、彼らが日ごろ主張する、「軍事を知るものがリアルな平和を駆られる語れる」という命題も怪しいものだと思った。もっともレベルの低い右派は中国が反対するならMDは有益に違いないと脊髄反射的に反応するが、ロジックを積み上げるタイプの軍オタでさえ、
では、何故、ASATが非常識なら、今まで宇宙条約で禁止しなかったか、MDは第二の核融合プロジェクト(意味するところは数兆円単位の金ばかりかかって実戦には使えない)プロジェクトに終始するのではとの疑念が寡聞にして見られなかったことだ。
冷戦期のソ連より少ない核弾頭数から、SDI神話の再現(80年代のレーガンのSDI構想が、ソ連を解体に導いたとの米共和党筋の論説)もしくは、第二第三のセルビア・イラクのように空爆オプションの方に想を巡らすことばかりに終始していた。
追記⇒今回の実験の収支勘定はチャイナにとって如何ほどか?
松浦氏のような反中常套句に決して染まっていない人にすら、今回の実験に対して、対中脅威論を認識させたという意味ではマイナス。
デブリは迷惑、常識知らずといった非難は感情は分かるものの、ミサイルディフェンス及び、宙域からの衛星監視+航空・ミサイル空爆
オプションに対し、コストを引き上げるもしくは(信頼しうる)実現可能性に疑問を抱かせたという意味では(中国にとっては)有益。
「衣のしたの鎧を見せる」という意味での軍事力の誇示は、相手国の警戒や被脅迫感情を呼ぶという諸刃の剣であるが、先方の国にとってリアリストがいるのなら、有効なメッセージの伝達にはなりうる。
私は、宇宙の軍事化には二分化すべしとの意見には半分賛成。監視衛星がトランスペアレンシーを高めるという意義においては左派としても賛同したい。私が疑問に思うのは、これほど大枚をはたいた情報収集衛星の写真、軌道すら公開しないということだ。どうせ、米国の最新衛星より能力は劣るのだから公開しても、最先端の解像能力が筒抜けになるという意味はない。GOOHLEMAPよりも解像度が低ければ恥さらしだが、まさかそこまではないだろう。宇宙法の改正(情報収集・偵察は非軍事もしくは非攻撃とみなす)の論議のときに「透明性を高める」という主張は、このときには口を拭っているのがずるいなあと感じる。
常に見ているという意味合いで情報を全面公開しても困るとは思えない。むしろ失敗プロジェクトを糊塗される危険性に比べればマシなのでは。第二次大戦前に、日本が軍事機密として囲い込んでいないで、もっとゼロ戦や海軍の戦力を誇示していれば、米国の政策決定層に於いて、ハルノートよりは柔軟な対日政策が検討されたはずなのにという右派の論説家のボヤキを読んだことがあったが、結構説得力があった。それに全地球をカバーしないまでも、GOOGLEよりも解像度が高い写真で北東アジアを丸裸にするというのは、なかなか痛快である。
ASATが禁止になったとしても、クラスターや白燐弾の為に論陣を張った軍オタさんたちは、当然ご承知のごとくだが、軍人は「付随的損害」には顧慮しない。軍人がリアリズムに則って、戦争を忌避するというのは、半分当てはまる命題だが、人道主義者では決してない。そもそもそういう職分ではない。MD構想が、ASAT禁止条約が成立したとしても、空爆対象国もしくは虎の子の弾道ミサイルを無力化されるという対象国がASATには手を出さないという非現実的な仮定に則らざるを得ない。日本の官製プロジェクトというのはそういう外部環境の変化に「見ざる、聞かざる、言わざる」を通して金だけ貪り続けるという悪癖を有するが、リアルに考えて、ASATに手を出さないなんてことはありえないでしょう。国防族のよく使う言葉を引用すればそれこそ「座して死を待ってください。中国」ということだ。中国がそれにおとなしく従うのなら、そもそも共存が可能ではないかしら。従わないのなら、非難したって無意味このうえない。
むろん、更に、MDや監視衛星を増やして、ASATに対し第一撃抵抗力を高めることが可能ではある。だが、プロジェクトの料金は数兆円に留まらず、さらに跳ね上がるでしょうな。70年代80年代のソ連に比べて中国の核弾頭数は十数分の一、当時に比べて、「向かってくる弾丸を撃ち落とすような無茶なプロジェクトと言われながらも、当時に比べれば、弾道計算能力は比較にならないほどスピード化しており、かつシステムの中での最適な反応を組み立てることは可能だ。だが、これもねえ。根本的に検討しなおさなくては。中国が弾頭数を増やすとか、70年代にネオコンを徹底的に右派に追いやった第三世界進出外交(アフリカ進出やラ米へのキューバを先頭に立てた革命支援)ではない道を進んでいるようだ。第二のコンテイメントを意気ごむ右派にとってはご愁傷さまだが、むしろこのプロジェクトはこちら側に出費が膨れ上がるという意味でSDIが受け手のソ連に、追随不能性をもたらしたという意味よりも逆に我々に出費が跳ね上るのではないかとの悪い予感がする。
なかんずく日本においてはである。いったん体制内にビルトインされると、あっという間に既得権益の繁茂する様は多くの実例を我々は経験している。そして途中での軌道修正は苦手である。公共土木・建設事業、同和対策事業、大学院量産、枚挙に暇がない。しかも、決して最先端でないのに、機密の名の下に有効性の意味合いを免れようとしているのである。割と危険だなあ。
日本国公民及び一左派としての立場の整理⇒情報衛星に対しては賛成。但し公開して検証を仰ぐこと。MDに関してはそのプロジェクトに対して、ASAT及び、宙域で核爆発をさせることにより広範囲に衛星が無力化されうるという前提でプロジェクトの可能性を判断すること。
更に追記
今回、青木節子慶応大教授のお名前と著作を拝見して懐かしかった。先生の旧姓の潮田姓で立教の助手を勤められたとき、われわれ青臭い大学1年生は、彼女の美貌をよく話題にしたものだ。国際法模擬裁判でもお世話になった。助手契約が途切れて、次の就職先が決まっていないの、ハローワークにいったんだけれど、仕事に就かないとどんどん落ちていく一方という脅迫的なミニ映画を見ないと給付が受けられないのとか、100人の博士の嘆きみたいなことを冗談ぽく言っていたり、親元から出なければいけないが常勤職がないとかパラサイトシングル的な嘆きを90年代前半に言われていた。
 しかし、慶応の教授ですか。たとえ、日本の大学が半減しても(今、地元の中高ではクラス数が半減しているのを知った時はショックだった。人口が増えているという横浜でこれだ)慶応なら安泰でしょう。
国際法模擬裁判でお世話になったお礼として[rakuten:cinema:10025572:detail]アナザー・カントリーのビデオを進呈したが、カナダ留学の時に映画館で二度見られたとのことで喜んでいただけた。何にせよもう14年も前のことだ。
日本の宇宙戦略

0 件のコメント:

コメントを投稿