2012年9月22日土曜日

2006-04-02 「神様はつらい」より引用2

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  1. 「神様はつらい」より引用
革命家アラータとルマータとの会話
 遠い旅の前に一眠りすることをプダフに勧めると、ルマータは自分の書斎に向かった。スポラミンの作用は終わろうとしていて、彼はふたたび疲労と衰弱を感じ、打撲傷がうずき、なわで痛めつけられた手首が腫れてきた。一眠りしないといけない、と彼は思った。一眠りして、ドン・コンドルと連絡をとらないといけない。そして、パトロールの飛行船と連絡をとって、基地に報告してもらわねばならない。いまやわれわれは何をなすべきか、そもそも何かをすることができるのかどうか、もしも、もはや何もすることができないとすれば、どうしたらいいかを考えねばならない。
 書斎に入ると、机に向かって、頭巾をまぶかにかぶった黒装束の修道僧が、高い肘掛に両手をのせて、安楽椅子に背中を丸くして座っていた。すばしこい、とルマータは思った。
「何者かね?」彼は大儀そうに尋ねた。「誰がお前を通したのだ?」
「こんにちは、高貴なドン・ルマータ」修道僧は頭巾をはねのけながら言った。
ルマータは首を振った。
「すばしこいね!」と彼は言った。「こんにちは、アラータ、どうしてここに?何があったのですか?」
「相変わらずです」とアラータは言った。「軍隊がちりぢりになって、みんな土地を分けていますよ。誰も南へは行きたがりません。公爵は生き残った連中を集めていますから、間もなくエストル街道に沿ってわたしの農民たちがさかさ吊りにされるでしょう。なにもかも相変わらずです」と彼は繰り返した。
「なるほど」とルマータは言った。
 彼は寝椅子に寝ころがり、手を頭の下にあてがって、アラータを眺めた。20年前、アントンが模型をつくって、ウイリアム・テルの遊びをしていたころ。この男は美男子のアラータを呼ばれていて、その頃はこの男も今とは全然違っていたに違いない。
 美男子のアラータの秀でた額にはこのような醜い紫色の烙印はなかった。その烙印はソアンの船大工たちの一揆の後でつけられたものだ。その一揆では、王国の各地からソアンの造船所にかり集められ、自己保存の本能さえ喪失するほどに苦しめられた三千人の裸の船大工の奴隷が、ある嵐の夜、港からなだれをうって繰りいで、さえぎる者を殺し、家々に火をつけてソアンの町をねり歩き、町はずれで甲冑に身を固めた王国の歩兵に迎撃された……
 それに、もちろん、美男子のアラータは目は二つともそろっていた。右の目は男爵の矛のすさまじい打撃によって眼窩から飛び出してしまった。二万の農民軍が男爵の親兵を追って首都を駆けまわり、広大な野原で肯定の五千の近衛隊と衝突し、たちまち切り崩され、包囲され、軍用らくだの棘のついた蹄鉄で踏みにじられたときのことであった……
 それに、おそらく、美男子のアラータはポプラのようにすんなりしていたに違いない。しかし、ここから海二つ隔てたところにあるウバン公国の農民戦争のあとではアラータもせむしになり、新しいあだ名を頂戴することになった。その戦争とは、7年間もペストと旱魃に苦しんで骸骨同然となった四十万の能動が、熊手や車の長柄を振りまわして貴族たちを殺害し、ウバン大公の居城を包囲した事件である。そうでなくてさえ頭の弱い大公は恐怖にあわてふためいて、臣民に納税の免除を宣言し、酒税を五分の一に引き下げ、身分的な解放を約束した。アラータはそのとき早くも戦いの失敗を予見しつつも、欺瞞にのらないように懇願し、要求したのだが、現状に甘んじるべきだと考える一揆の頭目たちに捕らえられ、鉄棒で打ちのめされ、ごみだめに投げこまれた……
 
 アラータの右の手首にある太い哲のブレスレットは、彼がまだ美男子と呼ばれていた頃のものに違いない。そのブレスレットは海賊のガレー船の舵に鎖でつながれていた。アラータは鎖を断ち切り、そのブレスレットで女好きのエガ船長のこめかみを殴りつけ、船を奪い、つづいて海賊の全船団を征服して、海上に自由な共和国をつくろうとした……しかしその目論見も酒と流血の大混乱で幕となってしまった。アラータがまだ若すぎて憎むことを知らず、奴隷を神の位置に高めるためには自由を与えるだけで十分だと考えていたからである……
 これは中世には珍しい職業的な反逆者で、神の慈悲の復讐者であった。歴史の進化はときおりこのようなカマスを生み出し、社会の泥沼を泳がせて、貴族の支配下にあるプランクトンを貪っている脂ぎったフナどもの眠りをさまさせる……アラータはこの地においてルマータが憎しみも憐れみも感じなくてすむ唯一の人間であり、ルマータは、五年間を血と悪臭の中で暮らした地球人らしい熱病患者のような眠りのなかで、自分がこのアラータになっているような夢をしばしば見た。この世のすべての地獄を味わいつくした人間なるがゆえに、殺人者を殺し、拷問者を拷問し、裏切り者を裏切る崇高な権利を持っている人間……
「ときおり、われわれはみんな無力なのだという気がして仕方がない」とアラータは言った。「私は反逆者の永遠の頭目で、私の力は私がまれにみる生命力の持ち主だということにある、ということは私も知っている。だが、この力も私の無力感には役に立たない。私の勝利はいつも魔法のように敗北に変わってしまう。私の戦友は敵になってしまうし、一番勇敢だと思っていた連中が逃げ出すし、一番忠実な連中が裏切ったり、死んでしまったりする。私には素手以外には何もない。だけど、素手では、城壁の奥に鎮座しているあの金めっきの偶像どもをつかみ出すことはできない……」
「あなたはどうやってアルカナルにやってきたのです?」とルマータは尋ねた。
「修道僧たちと一緒に船で来ました」
「それは気違いざたですよ。すぐに見破られてしまう……」
「修道僧のなかに入っていなければ大丈夫です。神聖軍団の将校は私のように白痴かかたわです。かたわ者は神様に好かれているんですよ」アラータはルマータの顔を見て冷ややかに笑った。
「それであなたは何をするつもりです?」ルマータは目を伏せて尋ねた。
「相変わらずです。私は神聖軍団がどういうものか知っていますよ。一年もたたないうちに、アルカナルの市民たちは斧をもって自分らの穴からとび出して、街頭で喧嘩をおっぱじめるでしょう。私は、連中を導いて、必要なやつをやっつけ、仲間討ちをしたり、誰かれかまわず殺すような真似をさせないようにするのです」
「お金が必要になるでしょうね?」ルマータは尋ねた。
「ええ、相変わらずです。それに武器も……」アラータはちょっとのあいだ口をつぐんで、それから取り入るような声で言った。「ドン・ルマータ、あなたは、あなたの正体を知ったとき私がどんなにがっかりしたかを覚えていらっしゃいますか?私は坊主どもが憎くてたまらないのですが、残念ながら、連中のうそっぱちの作り話は本当でした。でも、私のような無一文の反逆者はあらゆる状況から利益を引き出さねばなりません。神様は稲妻を持っている、と坊主どもは言います……ドン・ルマータ、城壁を打ち破るために、私には稲妻がぜひ必要です」
 ルマータは深く溜息をついた。アラータをヘリコプターで奇蹟的に救出したとき、アラータはしつこくその説明を求めた。ルマータは自分のことを話そうと思って、夜空にかすかに見える小さな星となって輝いている地球の太陽を指さしてもみた。しかし、この反逆者が理解したことは、いまいましい坊主どもが言うように、天には全知全能の神が実際にいる、ということだけだった。それ以来、ルマータと話をするたびに、アラータは、あなたは神様なのだから、あなたの力を私にくれ、それがあなたにできる最高のことなのだ、ということにいつも話の結論をもっていってしまった。
 そのたびにルマータは返答を避けるか、でなければ話題を変えてしまっていた。
「ドン・ルマータ、どうしてあなたは私を助けようとしないのです?」とアラータは言った。
「ちょっと待って」とルマータは言った。「申し訳ないが、あなたがどうやってこの家に入り込んだか教えてくれないかね?」
「そんなことは大したことじゃないですよ。この道は私のほかは誰も知りませんよ。話をそらさないでください。ドン・ルマータ。どうしてあなたの力をわれわれに貸してくれないのです?」
「その話はやめましょう」
「いや、そのことを話しましょう。あなたを呼んだのは私ではありません。あなたが自分で私のところにやってきたのです。それともあなたは単に気晴らしをしようとしただけなのですか?」
 神さまでいることはつらい、とルマータは思った。彼は辛抱づよく言った。
「あなたはわかってくれない。私が神ではないことはもう二十回もあなたに説明したけれど、あなたはついに信じてくれなかった。だから、私がどうしてあなたに武器を援助することができないかということも、あなたにはわかってもらえないと思う……」
「あなたは稲妻をもっていますか?」
「私はあなたに稲妻を渡すことはできない」
「そんなことはもう二十回もうかがいました」とアラータは言った。「いま知りたいのは、その理由です」
「もう一度繰り返すけど、説明してもあなたはわかってくれないでしょう」
「それでも説明してみてください」
「あなたは稲妻を使って何をするつもりです?」
「金ぴかの無頼漢どもを南京虫のように焼きつくすのです。一人残らず、やつらの呪われた一族を十二代の子孫にいたるまでやっつけます。私は連中の城を叩きつぶしてやる。やつらの軍隊を焼きはらい、やつらを擁護し、やつらの支持する連中を一人残らずやっつけてやる。心配なさらなくてもいいですよ。あなたの稲妻は良いことのためにしか使いません。この地上が解放された奴隷だけになり、平和が訪れたら、私は稲妻をあなたに返し、二度とそれをお願いするようなことはいたしません」
 アラータは口をつぐんで、苦しそうに息をしていた。顔は血がのぼって黒ずんでいた。彼は早くも、炎につつまれた王国を、廃墟にまじる焼死体の山を、〈自由だ!自由だ!〉と歓喜する勝利者の大軍を思い描いているに違いない。
「いや、だめだ」とルマータは言った。「私はあなたに稲妻を渡すことはできない。そんなことをすれば過ちをおかすことになる。私の言うことを信じてほしい、私はあなたよりももっと先を見越している……(アラータはうなだれて聞いていた)」ルマータはこぶしを握りしめた。「私は一つの理由だけを言います。この理由は根本的な理由に較べればとるに足らないのだが、しかし、これならあなたにも理解できるだろうと思う。アラータ、あなたは強い生命力をもっている。だが、そのあなただって不死身ではないはずだ。もしもあなたが死んで、稲妻があなたのように純粋ではない人の手に渡ったとしたら、その結果は、考えただけでも恐ろしい……」
 二人は長いあいだ黙っていた。ルマータは旅行用のトランクからエストル酒の瓶と食糧を取り出して、それを客の前に置いた。アラータは顔をあげずにパンをちぎり、酒を飲みはじめた。ルマータは自分が二分されてしまったような奇妙な気分を味わっていた。彼は自分が正しいことを知っていた。しかし、それにもかかわらず、その正しさがアラータの前で彼自身の立場をひどく屈辱的なものにしていまっていた。明らかにアラータはある点において彼よりも格段に勝っていた。それも単に、ルマータに対してだけではない。招かれもしないににこの惑星にやってきて、無力な憐れみだけを心に抱きながら、無情な仮説とここでは通用しないモラルの立場から、高みの見物のように、恐ろしく煮えたぎるこの惑星の生活を観察しているすべての地球人に対して、アラータは優っていた。喪うことなしには何も得られないことをルマータははじめて実感として感じた。われわれは善の王国ではアラータよりもはるかに強いが、悪の王国ではアラータよりもはるかに弱い……
「あなたは天から降りてこない方がよかったのです」と急にアラータが言った。「天にお帰りなさい。あなたはわれわれに害を与えるだけです」
「そんなことはない」ルマータは穏やかに言った。「少なくとも、私たちは誰にも害を与えていないよ」
「違います。害を与えています。あなたは根拠のない希望を吹きこみました……」
「誰に対して?」
「私にです。ドン・ルマータ、あなたは私の意志の力を弱めてしまいました。以前の私にとって頼りになるものは自分自身だけでした。ところが今はあなたのおかげで、自分の背後にいつもあなたの力を感じています。以前の私は、たたかいのたびに、そのたたかいが自分にとって最後のものだと思ってたたかっていました。ところが、今の私は、知らず知らずのうちに、あなたが参加してくれるもっと別の決定的なたたかいのために自分を温存するようになってしまいました……ここを立ち去ってください、ドン・ルマータ、もとの空へもどって、もう二度と来ないでください。さもなければ、あなたの稲妻を貸してください。あなたの鉄の鳥をくださるだけでもいい。でなければ、あなたは剣を抜いて、われわれの先頭に立ってください」
 アラータは口をつぐんで、ふたたびパンに手を伸ばした。ルマータは爪がなくなっている彼の指を眺めた。爪は二年前にドン・レエバがみずから特殊な器具を使って剥ぎ取ってしまったのである。君はまだすべてを知らない、とルマータは思った。君はまだ敗北の運命を担っているのは君だけだと思って、みずからをなぐさめている。君の事業そのものが絶望的だということを君はまだ知らない。敵は君の兵士たちの外にあるというよりむしろ内部にいるということを君はまだ知らない。ことによると、君はまだ神聖軍団を倒すかも知れないし、農民一揆の波は君をアルカナルの玉座にまつりあげ、君は貴族たちの城を破壊しつくし、男爵どもを入り江に沈め、立ち上がった民衆は、偉大な解放者としての君に最大の敬意を払い、一方、君は善良さと賢明さを発揮して、君の王国で唯一の善人、唯一の賢人になるかも知れない。君は君の善意にもとづいて土地を君の仲間たちに分け与えるだろう。しかし、君の仲間たちにとって農奴のいない土地が何の役に立つだろうか?そこで、車輪は逆の方向へ回転しはじめる。君。死んでしまって昨日の君の忠実な兵士のなかから新しい伯爵や男爵が生まれ出るさまを君が目撃しなくてすむとしたら、それは君にとってせめてもの幸せというものだ。すばらしい人間、アラータよ、私たちの地球でも、君のこの惑星でもそういうことはしばしば繰り返されたのだ。
「黙っているのですか?」とアラータは言った。彼は皿を押しやって、テーブルのパンくずを法衣の袖で払い落とした。「以前私には親友がいました」と彼は言った。「あなたも多分お聞きになったことがあるでしょう。ヴァガ・コレソという男です。私と彼とは一緒に活動を始めました。のちにあの男は盗賊になり、夜の支配者になりました。私はやつの裏切りを許しませんでしたし、やつもそのことを知っていました。やつは、恐ろしさと利益とを考えてのことでしょうが、よく私に援助してくれました。しかし、決して戻ってこようとはしませんでした。やつはやつなりの目標があったからでしょう。二年前にやつの部下が私をドン・レエバに売り渡しました……」アラータは自分の指に目をやって、その指でこぶしを握った。「今朝私はアルカナルの港でやつを追いつめましたよ……われわれの仕事においては半分の友というのはありえません。半分の友は、いつも半分の敵です」アラータは立ち上がって頭巾をまぶかにかぶった。「金はいつもの場所にありますね、ドン・ルマータ?」
「そう」とルマータはゆっくりといった。「いつもの場所にある」
「それでは行きます。どうもありがとう、ドン・ルマータ」
 アラータは音もなく書斎を横切って扉の向こうに姿を消した。下の玄関でかすかにかんぬきの音がした。
 
世界SF全集 24 早川書房 絶版 1970年初版より

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