2012年9月22日土曜日

2006-06-13 シュペード同志 「生き残る!」 編集CommentsAdd Star


自壊する帝国
この人物が実際に存在したのかは判らない。ただ、佐藤優氏の人物描写には並々ならぬものがある。今月号の現代で、ありきたりの内部告発系に転じられたような荒い文章がかいまみえたのはやや残念。
①「沿バルトの独立派指導者や、エリツィンに近い民主改革派の人脈は出来たのだけれど、守旧派共産党幹部との人脈がうまくできないんだ。どうしたらいいんだろう」
「マサル、そういう歴史の屑篭に棄てられるような連中と人脈を作る必要はないよ。時間の無駄だ」
「まあそう言わずに智恵を貸してくれよ。これも仕事なんだから」
「そうだな。あいつらの官僚主義的で権威主義的な体質を逆用したらいい。手紙を書くんだ。効果がある」
「手紙を書くことがどうして効果的なんだ」
「共産党で陳情はすべて文書の形で行なう。大使館の名前が書いてある便箋にタイプ打ちで、『あなたの某月某日付け××新聞インタビューを読んで関心をもちました。ぜひお会いしたい』というような手紙を作る。そこにサインをして大使館の大きな判子を押しておく。そうすれば、そういう要請には応えなくてはならないという気持ちに共産党幹部はなる」
「ワイセツな哀しき情事」のブログ主も、この《直接手紙》手法で感銘を受けたビジネス書、技術書の著者に驚くほど多くの面識を持ったと書いてあったことを思い出す。歴史の屑篭とは憲法制定会議を解散するときに大見得をきったトロツキーの言葉だが、慣用句となっていたのか・・・・・。

②初めて一緒に酒を飲んだときウオトカの勢いで私が、「なぜ泥舟のようなソ連派共産党に賭けたんだ」と尋ねると、シュペードは灰色の瞳をうるませて、「孤児である自分をここまで育ててくれたソビエト政権には心から感謝しているから」と答えた。
 私は内心、「こいつはなかなかの役者だな」と思った。しかし、ソ連が崩壊した後もシュペードの、ソ連政権だから孤児である自分と妹が生き残ることができたのだという感謝の気持ちに変わりはなかった。私は、シュペードが目を潤ませたことを演技だと受け止めた自分を恥ずかしく思った。


それにしても、シュペードはこれから何をしようと考えているのだろうか。なぜ「遺言」などと言い出したのだろうか。
「プラード、これからどうするつもりだ」
「生き残る。どんな形でも。インナ(夫人)とコーリャ(息子)を守る。それ以外のことは考えない」
「政治はどうするんだい」
「政治からは離れる。僕はもともと技師で、政治とは肌合いが合わない」
(中略)
だから、当面、生きていくことはできると考えている。ベラルーシに知り合いが何人かいるので、家具の輸出業でもやろうと思う。


シュペードはしみじみとそう語った。そのとき突然、扉をノックする音がした。
「ブラジスラフ・ニコラエビッチ(シュペードの敬称)、ちょっと急いで見ていただきたい書類が・・・・・」
そう言って、中年の男が部屋に入って来ようとしたその瞬間、シュペードが腹の底から響くような声で怒鳴りつけた。
「おいクズ、大事な会談があるんで部屋には入ってくるなと言っただろう。ウラジミール・ボリフォノビッチ(ジリノフスキーの敬称)の電話以外は一切取り次ぐなと言っただろう。うすら馬鹿、同じことを何度も言わせるな」
 私は過去にシュペードが他人を怒鳴りつける姿を一度も見たことがなかったので、少し驚いた。シュペードは温厚な口調に戻って言った。
「マサル、文化だよ。ここにはここに合った文化がある。人間には強い者、弱い者の差があってその差は一生埋まらない。運のいい者はずっとツキ続け、運の悪いものに幸せはやってこない。怒鳴られる人間は怒鳴られるような運命に生まれてきたんだよ。そして、一生怒鳴られ続ける」
中学国語の教科書で魯迅が書いた「故郷」の中でのトム=ソーヤーのような屈託のない自信に満ちた少年が数十年後に、卑屈な小作として主人公の前に現れたという情景を思い出す。

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