2012年9月22日土曜日

2007-03-01 『ドイツの秘密情報機関』 編集CommentsAdd Star


ドイツの秘密情報機関 (講談社現代新書)
関連する書籍を集めてくれたブログ
http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20051006

当時、ソ連の秘密警察は、東ドイツに1200人ほど駐留していた。中央偵察管理局は、カールスホルストに駐留するKGBから、ソ連のスパイ方法を忠実に学び、その精神を引き継ごうとした。1917年に組織されたソ連のスパイ組織の正式名は「全露反革命怠業取締非常委員会」(1917年~1923年)で、「国家保安部」(1922年~1934年)を経て、KGBとなる恐怖の情報機関だった。
スパイ活動のコンセプトは、「いかに西側ブルジョワ社会で資本家が民衆から搾取し、いかに抑圧と劣悪の状態で市民が生活しているかの証拠を探り出す」こと、そして、西側を叩く政府首脳の演説材料を提供することだった。ヴォルフのスパイ陣は、西側首脳を黙らせる爆弾情報をしばしば提供した。



『ドイツの秘密情報機関』p.179-180

そんなソ連担当部署にも、東側スパイは潜伏していた。17年間もBND(西独の情報機関)本部のプッラハで勤務し、1974年からソ連担当となり、1983年から4年間、ソ連分析をしていたガブリエル・ガスト女子は、実は暗号名「ギゼラ」と呼ばれる東ドイツ国家保安省のスパイだった。彼女は、BNDの人事異動報告、BNDの協力機関である海外情報部の暗号名を含む要員リスト、組織図、CIA名簿、西ドイツでの連絡接点、BNDの施設建設の青写真など、戦略的に重要な内部情報を、すべて、東ドイツ秘密情報部に提供していた。また、ワルシャワ条約機構に関する政治、経済、軍事の分析、西側の内政、宇宙飛行プログラム、BNDがとらえていたココ期間の諜報結果、CIAが調べたイラクに関する西ドイツ政府の関与状況など、BNDの諜報結果がすべて、東側に筒抜けだった。
p.98-99
善き人のためのソナタは、非英語圏の映画としてはヒットしているようだ。『グッバイ レーニン』を見た人たちが再び見ているという背景もあるのだろうが。なんにせよ、目出度い。
監視対象だった旧東ドイツ国民にとってはともかく上記引用のような国家機関が今の世の中に存在しないことはいささか残念ではある。体制間のチェック&バランスといえば誉めすぎではあるが、資本主義の大一統(清国の時分、文明世界・天下を統一したという観念)というのは、冗談ではなくなかなか厄介ではある。勝ち組以外の人間にとってはね。
 西側は自由世界という美称のとおり、自由な言論体制によりチェック&バランスは働いているというかも知れない。だがねえ。ある種の名誉毀損・損害賠償が、企業機密の名の下に、(企業機密というよりお天道様に顔向けできないような所業)までも公開されることを封じる手段となっている現状はどうだ。自由とは言えないのではないか。
 わたしは、よく冗談に思うのだ。ソ連が一つの企業だった場合、ソルジェニーツィンはどれほどの金額の損害賠償を請求されただろうか。
 オーウェル的な二重言語は、資本主義のこの世に満ち溢れている。根拠なき「安全・安心」の宣伝の氾濫。(ロリコンプチエンジェルのあの広告は安全・安心という言葉が如何にうそ寒く聞こえるかの実例で最高だった。広告評価として社会教育の素材とすべきだ)
 使い捨て労働の言い換えである第三世界からの「研修生制度」
 だからこそ、ある種のリベラル・左派は中国に対していささか甘いのかも知れない。決して希望の国でも未来の国でもない。今の執権党が権力を握る限り、旨くいってもあの領域の中で「大きなシンガポール」の部分が広がるだけであろう。どちらかといえば粗野な資本主義である。世界が多極であるべき、体制のダイバーシティとして有益(逆に、西側がなかりせば中国の共産党はもっと無慈悲であっただろうとは思う)という観念の為に、中国に点数が甘いタイプの人間を「中国国家主義者」といってもいい。この表現は別宮暖朗氏だが、一見政治的PHが中性でなかなかつぼをつく表現だ。
 だが、共産党統治に対する留保の表明⇒というにはあまりに激甚な憤怒もしくは痙攣的な冷笑に取り付かれているような気がするのは気のせいか。いくつかの留保に対する留保を表明しておきたい。
 ①ソ連が嫌いだがロシアは好き、文明世界
 この言葉は今は無きソ連を論評するときに、数多くの人間によって繰り返されてきた論説。体制を一新すれば我々は受け入れられるという期待感にかつてロシア人は夢見たこともあったが、幻想が覚めるのは(先方の振る舞いもあるとはいえ)両方で早かった。ただし、体制更新にはこの種の夢に浮かされたような幻想が必要だ。現在の西側なかんずく日本における反中言説は、文明論的決定主義、文明的断絶を中国に対して掲げている。中国人にとってはこの種の言説は『NOといえる中国人』の筆者たちのように逆旋回してしまう要素だろう。
 ②中国は旧ソ連のように閉鎖都市を作っていない。軍事的な不透明性は勿論あるが、旧ソ連のような秘密主義があるわけではない。
 ③中国は軍事費を伸ばしてはいるが、格弾頭数を大幅増強してはいない。
 ④力の空白に進出するという、フィリピン、ベトナムの南沙、西沙諸島の紛争のことは繰り返されるが、では軍事的空白のモンゴル、時代遅れではある毛沢東派がキャスチングボートを握ったネパールに対しての中国に外交姿勢に対しては、感情を呼び起こさないのか無視される。
 ⑤分割された方が、中国人にとっても幸せ。
  この言葉に対しては酔っ払っているのかといいたい。ロシア人やセルビア人がこの15年間にどのような思いをしたか、考えてみたらどうか。旧東側だけでないのなら、70年代のポルトガル帝国の解体などもそうだ。アフリカで多くの通洲事件のような事例は起きたのだ。
それはともかく、今日出た週刊新潮の「日本の核武装は中国にとっても望むところ」という論説はいいね。週刊新潮はこの世のありとあらゆる森羅万象を反中に結びつける高山正之というある種の人々のなかのある種の人(キング オブ キングス)を巻末に掲げているが、時折こういった意表をつく記事を出してくる。さすが、雑誌不況の中で部数を伸ばした例外なだけはある。
 国際政治を水戸黄門的パースペクティブ(毅然とか用語は違っていても)で語る利口な馬鹿が多い中で、こういった論説は硬直化した図式をシャッフルさせる。

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