2012年10月30日火曜日

2012-02-15 牛鬼蛇神

2012-02-15 牛鬼蛇神 編集


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威風と頽唐―中国文化大革命の政治言語
越谷市立図書館開架所蔵

第6章 147頁
政治的他者の見方―陳伯達
「すべての牛鬼蛇神を一掃せよ」
1966年6月1日、「人民日報」は「すべての牛鬼蛇神を一掃せよ」という人々の耳目を聳動する大見出しの社説を掲載した。この「牛鬼蛇神」とは得体の知れぬ化け物たちのことであり、日本語では「妖怪変化」と訳されている。
(略)
 この文章はまずその題名が人々に大きな衝撃を与えたといわれる。文革を中国の伝統的な政治思想・制度との関連で理解しようとする中国社会科学院王毅
「人類の歴史において『ファシスト』という言葉を除けば、おそらくこの短い数文字の言葉以上に人を慄然とさせる別の字句は今後もありえないだろう」と述べている。
 この牛鬼蛇神という言葉の元々の出展は仏典であり、法華経に「牛鬼」、地蔵本願経に「蛇神」という表現が出てくるという。唐代に入って詩人杜牧が「李賀集序」でこの表現を用いており、次第に今日の使われ方が定着していったようである。
 杜牧は李賀の詩を賞して、その奔放な想像力は、たとえ鯨が大口を開け、大亀が盛り上がり、牛の頭をした鬼や蛇の姿をした神が出てくる光景をもってしてもまだ及ばないと述べているのだが、陳原によればそこには「牛鬼蛇神」の持つ「測りがたい神秘さと想像力に富んでいる」趣きへの驚きや畏れはあっても、邪悪なもの、醜悪なものとのいう語感はなかったという。ちなみにこの李賀の詩は毛沢東も好んだものであった。
 しかしそれはのちに貶義に転じて、この社会の醜悪なものや種々の悪人たちの比喩となり、そこではかつての畏敬や畏怖の念は失われている。(略)
 ともあれこのようなおどろおどろしい表現が政治言語の中で公然と用いられたのである。党中央機関紙が大見出しで用いたこの「牛鬼蛇神」という表現それ自体がすでに一つの強い煽動力を持った政治言語だった。
 当初「さらに奮闘してプロレタリア文化大革命を最後まで推し進めよう」と題されていたこの文章をこのインパクトある題名に変えたのは陳伯達だったという。(略)
 さてここで関心を惹くのはこれら「牛鬼蛇神」というような言葉が政治的他者に対して用いられたことにある。またこの時期「黒幇」という言葉も登場している。(略)
 元々は文学的形容として、あるいは巷間で隠語的に用いられてきたこれらの言語の政治言語への導入は大きな煽動力を持ったと共に、しかし「現実」への認識を誤らせるものでもあり、政治言語としての堕落、退廃の端緒ともなった。(略)
 政治的他者、あるいは異論を「半人半鬼」と表現する言語スタイルにはただ形容詞の問題ではない、その政治言語の邪悪な側面、根本的にはその母胎たる社会性の閉鎖性が示されている。(略)
 そこに明確な性格規定があったわけではなかった。陳原はこう述べている。
 「それは一種の呪文となり、『敵』の代名詞、または同義語となった。(中略)実生活においては『牛鬼蛇神』の語義そのものが広がり、知識分子だけでなく、各階級の幹部および『造反』派にとって目障りな人たちまでが含まれるようになった。
 ここから文革言語を特徴づける多種多様な政治的罵言が生み出され、社会に流布していくのだが、これについては陳原ら何人かの中国の言語学者たちも社会言語学的な視点から注目している。そしてそれらは文革という異常な時期での「言葉の汚染」によるものであると共に、伝統的中国社会の封建的な残滓の復活と見なされている。
 「『文革文体』の何よりの特徴は人を罵倒する言葉の氾濫である。(中略)罵言はどの民族言語の中にも存在する。文革の罪悪はそれを一般化し、合法化したことである。中国の伝統社会の中で人身迫害は決して少なくはなかったが、しかしそれが社会の倫理的支持を得るに至ったことはない。『階級闘争』学説は人々に『敵』は罵り鞭打たなければならないのだと思わせたのである。人格汚辱や人身迫害は一たび合法的で正義なのだという外皮をまとうや、全国に蔓延し、残酷極まりないものとなった」(略)
 しかしまさにこのような綽名的、比ゆ的な言い方がかえって人々の社会的グループ間の矛盾、とりわけ『われわれ』-『彼ら』の関係を定める思惟方式を支配した。 (略)
 つぎに、『悪人』は徹底的な人格的貶め、並びに可能な限りの非人道的な扱いを蒙った。そのことは彼らを動物化した呼び方に見て取ることができる。たとえば『牛鬼蛇神』『変色龍(カメレオン)』『小爬虫』(手先)『狗崽子』等々である。
 人格的貶めと動物化はただ単なる用語の使い方にとどまるのではなく、人間関係での相互の見方と対応の方式を支配する潜在意識を主導するものとなる。
さて、以上の20世紀の出来事とはいえもう40年以上も前の遠い過去の出来事であるように思えますが、残念ながら無縁とは言えません。人間の愚昧さや偏狭さは、光明や進歩や自覚や連帯と同様に糾える縄のごとく繰り返すものかも知れません。
この種の「牛鬼蛇神」と類するような文言を、私より10年も若い人間の著書から見聞きするとは、不快な驚きでした。
独裁者の教養 (星海社新書)
106p
だが楽屋で見た彼は、テレビ局の社員が差し出す名刺を見て、部長以上のお偉いさんとそれ以下の社員を相手にするときでは、露骨なほどに態度をガラッと変える人だった。番組終了後には、女子アナウンサーを相手に「僕には政治的な後ろ盾がいる」と、中国共産党の高官との交友を誇らしげにアピールしていた。
 俺が個人的に失礼な目に遭ったわけではない。だが、身分の低い相手には視線も合わせず、権威を盾にして偉い相手にだけ握手を求める人間を、隣で眺めているのは嫌な気がした。
この人はもはや日本人ではない。<<
一般社会で暮らす中国人ですらない。
中国共産党の幹部―中共人という禽獣(きんじゅう)どもの仲間だと思った。 
俺が以前に僧侶だった頃にも、相手の身分次第で態度を変える茶坊主たちが大勢いた。宗教の権威を盾に、目下の者や信者に対して威張り散らす人間だ。彼らは後年、東北の震災で万単位の人間が死んだ当日の晩に、高笑いしながら宴会ができる神経の持ち主だった。

安田峰俊 ノンフィクション作家
1982年滋賀県生まれ。立命館大学文学部、広島大学大学院で中国近現代史を学んだ後に一般企業に就職するも、会社員の「空気」に馴染めず半年で退職。仕事を転々としつつも、中国のネット掲示板を2ちゃんねる風に翻訳するブログを運営していたところ、これが『中国人の本音』なんじゃないかと講談社の編集者に声をかけられて28歳で処女作を刊行。デビュー後、同業者各位から「ろくに取材もせずにネットの書き込みをパクっただけで本が書ける、中国ネットウオッチャー様(笑)って羨ましいよね」とイヤミを言われ続けるのが嫌になり、1年間の取材と文献狩猟を経て本書を書き下ろした。ブログは『大陸浪人のススメ』で検索のこと
安田峰俊氏よ。貴下には特段の恨みが無い。とはいえ、貴下や貴下のお仲間ツイッター加藤嘉一には特段の恨みが無いという言明と同じく、その粘着という実践と言葉の乖離から発信者以外には説得力が無さそうです。
だから正直に語ろう。加藤嘉一はどうでもいい。ナルシストの腐臭を放っているのは加藤嘉一のブログの自己紹介を見れば事足りる。セレブ抜きの市場経済・連帯社会を夢想する独立社会民主義者にとって、セレブになりおおせた加藤嘉一は心底どうでもいい存在だ。彼への軽蔑を執拗にあらわにするのも、アディクション気味だと思わないでもないが、それもご自由にです。
ただ、彼は、あなた方が中共の手先と見なそうと精力的に活動しているが、事実そうであるかどうかに関わらず、ナルシスト加藤の公式の発言からは、中共の執権を擁護する余り、盲従・追従と見なされるような言葉を慎重に避けていることは、深く慎重に考えたほうがいい。
「悪魔祓い」の戦後史―進歩的文化人の言論と責任 (文春文庫)
の中の大内兵衛が1956年ハンガリー動乱に際して、「ハンガリーは遅れた百姓国だから」と放言したような陋劣な発言は皆無である。
もちろん、結果として中共を利するという発言は往々にして見られるが、言説を汚染するような前世紀の80年代以前の親ソ親中派の盲従とは一線を画している。
だからこそ危険であると「あなた方ツィッターつるみ派」は思うのかも知れない。しかし、それは猜疑心を亢進させる一歩であると私は断言する。
この2010年代のこの先の10年も、喪われたデケイドの3巡目になることはほぼ確定した。喪われた10年の1巡目が終わったころの10年前
彼女たちの時代(1) [VHS]
これがあと20年も続くようになるとは思いもしなかったが、まあ仕方が無い。正念場は、われわれの祖国がどう負けるかである。私たち左派はわが国が、プロイセンに負けた後のデンマークのように、外的敵も内的敵も見出して心を乱されること無く、社会・経済・国家の再建に勤しむべきであると考える。
右派は逆である。彼らは内的外的の仇敵の存在、陰謀の存在を声高にわめきたてる。その結果将来するものは19世紀のデンマークの国内再編成ではなく、没落期に猜疑心を亢進させた結果、「ピレネーの向こうはアフリカである」とまで蔑まれた17世紀スペインの末路である。
あなた方だけではないという言い訳はなりたつ。至る所で、脅威を声高に叫びたて、敵の手先を嗅ぎ分ける言説が粗製乱造されるのが、わが祖国の今という時代だ。
『諸君!』『正論』の研究――保守言論はどう変容してきたか
だが、それは破滅の道である。後退と縮小の局面においては、かつての寛容が成功要因であったにも関わらず、猜疑心を亢進させ、敵の手先を内部から抉り出すという負の無限ループに嵌る事例が、世界史の歴史上、圧倒的多数ではあるけれども。
最強国の条件
だが、グルントヴィ信奉者であり、ミリタリズムを転覆したドイツ独立社会民主党の営為をこよなく尊敬する私としては、貴下たち(貴下たちの中には、特にP_N_E氏のように、エスノセントリズムを己の高潔な精神から倦みもせず拒絶する人士がいることは承知してはいるが)が、内部に潜入した敵の手先概念を安易に乱用したことに関しての軽蔑と異論を唱えさせて頂く。
ちなみに、禅宗のある一派(貴下のメール以来、ある宗派の震災救護活動を、より精力的にウオッチするようになりましたが、貴下はツィッターで見る限り、そのような名指ししないとはいえ、口を極めて罵った出身母体に対してはそのような関心は抱いていないようですね)の震災当日の、予定されていた酒宴の挙行を、骨の髄からの頽廃の証明として書きなぐった貴下に対しては、少々興味深い事例を提示させて頂く。

76頁
 そして当時の文芸界には江青の批判を裏付けるがごとく「腐敗」と目されかねない雰囲気も生まれており、それを象徴するものとして指弾されたのが1964年2月3日、関係者2000人を集めて開かれた中国劇作家協会主催の「迎春晩会」であった。その場の雰囲気は批判者によれば「飲み食いに打ち興じ、一部の出し物は通俗低級、趣味悪劣な催しであった」というものであった。
それから、去年の11月に必要以上に、馬鹿丁寧な言葉を使いながら直接メールを頂きましたが、その直後に、多分私をあてこすったものと思しきツィッターを発信されています。どちらが貴方の本性なのですか。貴下への最後の返信メールでやんわりと触れたところ、ツィッターには残っていないようですね。しかし、twilogにはあったので再掲しておきます。
「ボクの方が歴史も哲学も詳しいんだい。なんで安田なんかがプロなんだ。○○はどうせ××で詭弁だろ。はい、自称専門家を論破wボクは物知りw」 「あの、直接メールしますがマジで○○です。ソースあり」 「ムキー。素人にムキになるな!ボクは素人なんだ!」 ←ガチでそんなことが出発前にあった
2011年11月24日 dongyingwenren posted at 10:59:16
特に、
「ムキー。素人にムキになるな!ボクは素人なんだ!」 
こういった、まとめの元になる私の発言・回答は何かありますか。直接メールの返信を引用して頂いても構いません。私には貴下の脳内空言にしか思えないのですが。
また、年長者として老婆心ながら申し上げますが、私への直接メールいただいたときに、非常に丁寧な言葉をものしながら、ツィッターや自らの著作で「ババア」とかいった下劣な言葉を平然と使用される。馬鹿丁寧な直接メールと陰で舌を出したツィッターでの放言といい、こういった分裂した言説の発し手を見ると、自己の思考と営為を統合できていますか。出来ていないのではないかとの疑念を抱きます。まあ、それに類することは加藤嘉一ストーキング粘着に最も(病的な意味で)嵌っている、貴下のツィッターつるみ仲間のsuisaigaga氏にはより強く言えることなのですが。

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