2012年9月22日土曜日

2006-04-06 青樹明子より引用 01 編集


青樹明子より引用 01CommentsAdd Star

時事
昨日に引き続き、青樹明子氏の著作から心に残った部分の引用。氏のエスプリ溢れる文章構成の巧みさ(日本人に馴染みのない部分を注ではなく地の文ですぐ解説するとか、地の文の描写も旨い)と、佐藤優の「こういうときは興奮してすぐダメになる対処療法をとるのではなく、我々が置かれている状況を勇気をもって見据えることだ。しかし、自分の醜い姿を客観的に見つめることはなかなかできない by『国家の崩壊』より」という含蓄のある言葉を前提に読むべき。面白うてやがて哀しゅう描写かな。

羅剛事件の意味するもの
「羅剛閣下ですか?」
事件はこのひと言から始まった。
2003年2月25日深夜零時過ぎ、中国湖南省、湖南人民ラジオ経済チャンネルは人気番組「心魂之約(心の出会い)」の生放送の最中であった。番組は人気パーソナリティー羅剛が、リスナーからの電話を受けてやりとりする形式で進められている。
 零時22分を過ぎた頃、羅剛はその日最後の電話を受けた。「シャオユエンジュンタイラン」(日本語に直すと「小原正太郎」か)という「日本人」である。これがその日最後どころか、羅剛のラジオ人生最後の電話となるとは、誰一人として、知るよりもなかった。
 それにしても、実に不気味な声である。悪意と冷笑が入り混じる、奇妙な抑揚の中国語だった。羅剛もかなり警戒感を抱いたようだ。
「たしかに私は羅剛だ。でも私は陛下でもないし、もちろん閣下でもないよ」
「小原正太郎」と名乗る男はそれを無視し、あざ笑うような調子のまま「羅剛閣下」と話を続ける。彼は、番組宛てに手紙を送った、2~3日中には届くだろうが、手元に控えがあるので今読み上げていいかと尋ねてきた。
「どのくらいの長さなのかい?」
「全部読み終わるのは無理くらいの長さかな」
「わかった、じゃあこうしよう。3分間は保証するよ。その後にまた続けるかどうかを僕が決める。3分後に終わりにしても、僕を責めないでくれたまえよ」
「小原正太郎」は「好ハオ (いいよ)」と、羅剛の申し出を受諾し、彼が書いたという文章の朗読を始める。しかしそれは、羅剛がまったく想像しなかった内容のものであった。
「13億の支那人にこの文章を捧げる。私は一人の日本人である。支那に来る前、つまり日本にいた頃だが、小学校時代、いや物心つくやいなや、支那人とは世界で最も低劣な民族だと聞かされていた。
 中国に留学したのち、初めて長沙(湖南省の省都)に来て、最初のうちは新鮮な感覚もあったが、その後だんだんとわかってきた。支那人とは、私が想像していたより以上に、そして子どもの時から受けてきた教育、また教師や両親、先輩たちから与えられたイメージよりも、遥かに低劣だということがわかった。
 支那民族は教養が無く、民度も低くて、国民はひどく貧乏である。驚愕し、憤慨し、不思議に思い、恥ずかしくなり、いたたまれないほどである」
「小原正太郎」は不気味な抑揚で、淡々と文章を読み続ける。
日本人留学生が、ラジオを通じて中国人を侮辱し、罵り続けている!その驚愕の事実に、羅剛も、番組を聴いているリスナーたちも、唖然として言葉も出ない。
日本鬼子(リーベンダイツ)め!
怒りでうち震えていただろうとは、容易に想像ができる。
「我々日本人が何故お前たちを『中国』と言わずに『支那』と呼ぶか知っているのだろうか。君たちに告げる。唐時代だけが『中国』と呼ぶにふさわしいのである。しかるに現代の教育程度は実に低く、7年ほどしか学問をしていない。これでは文盲と変わらず、初等教育さえ受けていない現代中国人は、まさに野蛮人であり……」
「もういい、もういい!」
あまりの屈辱に、羅剛は、ラジオ番組生放送というシチュエーションを忘れてしまったかのようだ。
「もう充分だ!お前の言いたいことはよくわかった!」
羅剛は電話を切ろうとした。しかし、小原正太郎の悪意に充ちた罵りは続き、羅剛に電話を切らせない。
「良薬は口に苦しということですね。僕たちの国のラジオ局だったら、外国人が日本の批判をしても許されますよ」
「僕たちの国だって?君たちの国がいったいどれほどのものなんだ。一人の善良なる中国人が、たった二文字を地面に書いただけで逮捕するような国だろ!民主主義が聞いてあきれるよ!」
羅剛の頭に浮かんだのは、靖国神社の狛犬の台座に、スプレーで「死ね!」と書きつけ、逮捕された中国人のことだろう。
小原正太郎はそれすらもあざ笑う。
「僕はあの戦争のことなんか、何にも言っていないのになあ」
「こっちの話を聞け、もし一人の中国人が日本のラジオ局で、『小日本』『日本鬼子!』と罵っても、大声で南京大虐殺というあの残虐な行為や8年にわたる抗日戦争がわれわれにどれだけ屈辱を与えたかを訴えても、お前たち日本人はおとなしく聞くというのか」
後は感情的な罵り合いである。
小原正太郎「我々は中学校も出ていないような人間は豚って呼ぶんだよ。だから僕たちはアンタたちのことを支那豚って言うのさ。(略)お前たち中国人は大卒なんて、たった5%じゃないか。俺たちは30%が大卒なんだよね」
羅剛「北海道の農民にそれを言えるのか。北海道の農民はみんな博士か」
小原正太郎「お前たち支那人は無責任なやつらだ。全人類に対して無責任だ……」
羅剛「もういい!」
ここで羅剛はようやく電話を切った。言葉を発することができない羅剛のかわりに音楽が流れた。後の報道によると「大きな刀で日本鬼子の頭を切り落とせ」という、抗日戦争時代の恐ろしい曲だったという。
 その正体
やりとりは全部で7分半ほどだった。
後の調査によると、小原正太郎の電話が始まり、二分から五分くらいの間に、ラジオ局経済チャンネルの当直責任者は、二回にわたって羅剛と番組ディレクターに対し、電話を切るように指示したという。しかし何故か、それは実行されなった。
そして7分経過して、番組が終了するとすぐ、長沙市の110番は、回線がパンク寸前に陥った。番組を聴いた人びとからの怒りの電話が殺到したからである。それは200件以上にものぼり、政府の関係部門に対し「小日本」を逮捕し、処罰するよう要求するものだった。
 また、何人かの高校生たちは、プラカードを作ってデモを行おうと呼びかけ、大学生は、日系企業を襲うことを提案し、多くのタクシーの運転手はラジオ局前に集結して、小原正太郎を引きずり出せと気勢をあげた。
 まさに一触即発の危機だったのである。湖南人民ラジオ始まって以来の、熱く長い夜となった。
 事件はそのご、思わぬ展開を見せる。
 放送終了後、公安警察、国家安全部、宣伝管理部門(すべて国の重要機関)がすぐさま調査を開始した。事件を重大な政治的事件だと認定したのである。
 日本人にラジオを通じて中華民族を侮辱させ、中国人民の感情を傷つける言動をさせたとして、羅剛と番組ディレクターが責任を追及された。すぐさま電話を切るか、放送をストップさせねばならなかったところ、7分以上も話をさせてしまい、深刻な結果を招いた責任は重い、とされたのである。
 事件から中2日置いた2月28日、羅剛とディレクターは、放送局を解雇された。政治的に敏感でないというのは、番組制作者、そして主持人(メインキャスター)としての適性を欠く、ということだった。
 局側は記者会見を開き、次のように説明した。
「第一、青少年が心の交流をするという番組を、羅剛はあらぬ方向へ話題を誘い、番組の主旨から大きくはずれる結果を招いた。第二、番組管理規定に背いた。第三、番組を中断するようにとの上司の指示に従わず、政治規律、組織規定に重大なる違反行為をした。第四、主持人として政治に対する敏感さが欠け、反駁する能力もなく、適切な処理ができない。以上が解雇の理由である」
 事件の主役は、あっけなく舞台を追われたのである。
 人びとを驚愕させたのは、羅剛の解雇だけではない。
 事件の翌日、つまり2月26日の夜、湖南省長沙市公安局は、麓山南路中南大学付近において、「小原正太郎」なる人物を見つけ出し逮捕する。日本人留学生を騙った罪だった。日本人留学生を騙った、つまり「小原正太郎」は日本人ではなく、中国人だったのである。
 本名梁小南・36歳・男。湖南省益陽在住、農民、学歴高卒。小原正太郎の正しい身上書はこうなる。麓山高校句、というところで、個人経営の小さな文房具屋を営んでいるのだそうだ。
 逮捕された際、梁小南が携行していた原稿は番組で読み上げた物と内容が一致し、筆跡も、後にラジオ局に郵送された原稿と完全に一致した。何より梁小南本人が、すべて自分がしたことだと認めている。ちょっとした悪ふざけだったと供述しているようだ。
悪ふざけの代償は大きい。
彼はそのまま侮辱罪の罪で刑事勾留され、約3ヵ月後の6月14日、長沙人民政府は梁小南に対し、労働教育2年の罰を下している。
私的考察
羅剛事件自体は日本人を騙って中国人を扇動しようとした事件ということで、確か水谷尚子氏が論壇誌に掲載していた記事の中で読んだ思い出がある。精力的な現地フィールドワークをこなす水谷氏には失礼ながら、こうして臨場感溢れる描写を読んでみると、反日感情がマグマのように滞留していていつ「水晶の夜」のようなポグロム的日本人襲撃が起こらないという危機感(それを否定しているわけではない)以外にも感じ取ることができる点がいくつかある。
1)もちろん、基本として中国人の反日感情の根深さ、これを読み取るのは間違いではない。
しかし、それ以外にも読み取るべき点はいくつかある。
2)「迫害者は自分たちこそが迫害を受けているのだと涙ながらに繰り返しながら、そして迫害を行った。―これが人間の歴史だ」ファンタスティックな甘い中国観と熱心なファン(梶ピエール先生とか大屋先生とか)にも微苦笑されることが多い内田樹先生だが、大量量産で言説中の金鉱石の品位は低下しているとはいえ、特別な霊感とセンスの持ち主であることは否定できず、上の言葉も拳拳服膺すべき内田語録の一つとして私は反芻している。
どうだろうか。上記のフレーズにおいて、迫害者は扇動者と交換しても同様の意義を持つのではないか。小原正太郎こと梁小南は愉快犯であり、これを一般事例として援用するのは無茶かもしれない。ただ、彼が親日的感情から上記行いをなしたというよりも「人びとの感情を揺り動かしたい」という欲求に突き動かされて上記の所業を行ったと見るほうが妥当である。
 ここでは、「やつらとわれわれ」という二分法において、「やつら」はわれわれを憎み、愚弄している。黙示的に、当然われわれもやつらを憎んで愚弄してしかるべきだ。という同じみの言説パターンである。これが以下に強力かは、2+3=Ⅹというこの単純な誘導的言説において黙示的な部分を明示しなくても、感情を刺激して受け手が皆一様に「正当なる反撃」として憎悪の感情をいだいてくれることだ。
日本においても反特定アジア言説はこの種のパターンを忠実になぞっている。日本を侮辱し愚弄する言説の「コレクター」のような採取ぶりはまるで表面上の憤激は別にしてまるで魅入られているかのような印象を受ける。
民間扇動番組や雑誌などでの、中国の酷い言論としてネットから採取して、「どうだ、こんなに酷い」と日本人の視聴者、読者に提示する場合に、日本の2チャンや一部ブログなどで見られる同様のチャイナフォビアの汚い言葉を両方俎上に載せた言説は寡聞にしてみたことが無い。(筑紫哲也流のボヤキ節タイプのそれは除く、無力にもそれは誰にも届いていない)
「ヤツラ」が我々を憎んでいるという前提は、人間誰しもが持っている暗い感情を解放する上での必要条件である。大半の人間なにもないところから人を憎めるほど性悪ではない。水爆を起動する為には原爆の爆破が必要であるのと同じようなものだ。
仮想戦記モノでは、ストーリー上の敵国人が日本人をレイシスト的に罵る決まり文句がこぞって使われる。アメリカ人の場合は「JAP」、北朝鮮人の場合は「倭奴」、中国人の場合は「日本鬼子」と罵る場面がクライマックスの前に登場する。日本人が反撃するときに同じような罵り言葉は出てこないのがご愛嬌だが。
3)次に、決して社会のエリートでは無い梁小南(驚くほど博識だった「Noと言える中国」の著者たちも世渡りが下手で経済的には成功していなかったと述懐していたが、大学卒なのだから、戦前日本の学士様なみの希少インテリと中国においては言える)が、上記の扇動言説を行う上で、覚醒した日本人は反日言説に対抗してクールに反撃して封殺する(travieso氏の表現より)という日本人自身がお気に入りの語り口のパターンを熟知していたという点だ。中国の官製教科書や反日映画では古色蒼然としたワンパターンの暴虐なる軍国日本人が反日素材として反復されている―というのはよく知られた話である。ただ、ネット上や「嫌韓流」タイプのクールに侮蔑するという語り口が向こう側に知られており、それこそが最も感情を高ぶらせるものだと選択されたのは初耳なのではないか。クールな反論に、なすすべも無く先方が押し黙るかぶちきれるというのは、語り口と内容が知られている以上、まさにファンタジー(これもtravieso氏の表現)でしかありえないように思う。もちろん、双方がディベート流に相手側の言説を前もって読み、お互いを「論破」しようとして頭を絞っても有益なものが生まれるとはこれっぽっちも思わないが。
まあ、自称覚醒したネット上の騎士きどりの人たちには、先方が閉鎖された言説空間で、上から与えられた反日教育のおうむがえししかできないと思っていたら足元をすくわれるとだけ申しておこう。ここ3ヶ月での『諸君』のヒット企画、「中国、韓国にこう言われたら、こう言い返せ」の各内容も、今年が終わるまでには驚くほど多くの中国人、韓国人には既知の内容になっているだろう。

2006-04-05 時事―02 編集


時事―02CommentsAdd Stardimitrygorodok

高原基彰氏のブログ
サピオ誌に載っているような徹底検証(イヤな言葉だ。その昔のイデオロギー左翼の「本質を暴露」と同じく粗雑で結論の終着点が決まっている品の無い言葉)とは次元の異なる東アジアの青年層の意識の解析を試みている研究者。
中華思想とか共産党の洗脳教育といった手垢のついたキーワードではなく、21世紀資本主義の疾風怒涛(シュトルム・ウント・ドランク)にさいなまれる東アジアの若者たちの意識を探った本。
もちろん、新書が出たら購入するのだが、本日、自分へのご褒美としてこの高原氏の解析を補完するような視座の新書を発見したのを記録しておく。
「小皇帝」世代の中国 (新潮新書)
表題だけだと、凡百の反中本に思えるかもしれないが(新潮新書は石が多いし)、これがなかなか刺激的。著者の人柄と鋭い洞察力から出ているのだろう。
最初は、日本人に衝撃を与えた05年春の反日デモに参加した中国青年層の手記。『僕』という自称と繊細な観察眼が村上春樹チックでステキだ。無論、個が集団に溶解する悦楽(9年前に今は無き『新日本文学』が自由主義史観批判を特集したときにある論説の中に残っていた心に残ったフレーズ。こういう相手方のみのレッテル張りに終始しないフレーズの生命力は強い)もきちんと書かれている。笑いながら投石する暴徒という視点からの文章しか読めなかった身には啓蒙的だ。
少し、余談だが、ネット右翼の分析も、批判者の「徹底検証」が、日常の憤懣から攻撃衝動を求めてスパイラルを起こしているといった類の分析も、事の一面しか見ていないのではないか。そういった知性と品性に欠けるタイプもいないではないが、驚くほどの分析力と当然それを実社会でのポジションに結び付けていることが伺える人士のブログもある。侮蔑や冷笑を後ろめたさもなく「心底」から楽しむ一方で「泣ける2チャンネル」の画面上のスレを見て涙をこぼすのも同一の人物であるというような解析が欲しい。私がネット右翼の批判者に心情的に同調するだけになおのこと。

資本主義は所有欲に左右されるが、イデオロギーとしての価値基準も将来像ない。人間は不平等で当然だとみなす。資本主義思想の典型的な言葉は「人的資本」(human capital)、つまり人の能力を数値で表して金融資本や物的資本と同等レベルにおくことである。
H・シュミット 『ヨーロッパの自己主張』
まさに、その通り。この自由か浮遊かわからないが、流動性がますます高まる経済下部構造のもとで、各人は自らの人的資本を証明することに全精力を注ぐことを強いられる。中産階級として留まるためには、速度を増す「走るエスカレーター」に逆らって走り続けねばならない。「赤の女王の呪い」にわれわれははまっているのだ。個人的事情を申せば、本日私は転職先の最終内定を貰ったが、先方の会長、社長の目の奥には3ヶ月間の試用期間を乗り切れるか半々だなという心情がみてとれた。そのハードルを越えるために粉骨細心せねばならぬ。
 上のシュミット元西独首相の著作の述懐では、アメリカタイプとは異なるライン資本主義の自賛が続くが、そのセーフティー・ネットすら解体の時代局面にあることはライン川の両岸をみても皆承服せざるを得ない。
 そういった前提において、何故ナショナリズムがこれほど人びとの心情を捉えるのかという解析を読みたい。佐藤優元分析官は「この世界に住むわれわれは皆ナショナリズムというウイルスに感染しているのです」と喝破した。氏の痛快なところは、「感染していない人はイデオロギーとか世界宗教とか別種のウイルスに感染しているのです」と付け加えたところか。
言い方を変えれば、この浮遊資本主義にさいなまれる東アジア三国の若者たちを席巻しているナショナリズムを共通の土俵で分析する視点が欲しい。共産党の洗脳教育を原因とする言説は、では何故マルキシズムを共産党が若者に洗脳できていないのか説明しようとしない。洗脳なら可能なはずではないか。特殊日本の風土病的検証も特殊中国の風土病的検証も、いずれも跋扈しているが私には事のありようの一面しか捉えているようにしか思えない。
青樹明子氏自身もノマド的に自らのキャリアを形成していった人である。侮蔑と冷笑というアディクションにもはまらず、もはや生命力を喪った70年代~80年代風味の日中心の交流という視座でもなく、高原氏と同様の視座で現代中国の若者の悶々とした心情、苦悩、鬱屈をわれわれに届けてくれた。とりあえず、彼女の著作はこの半年で「大人買い」するつもりですからよろしく。
青樹明子 愛知県生まれ ノンフィクション作家、広東衛星ラジオ放送キャスター。早稲田大学文学部卒。1998年から北京放送に三年間勤務。著書に『北京で学生生活をもう一度』『日本の名前をください―北京放送の1000日』『日中ビジネス摩擦』
以下、心に残った引用

思うところあって、この秋から母校の大学院に入学することにした。社会人学生はすでに北京ですでに経験済みだったが、母校となればやはり懐かしい。
駅から学校まで続く商店街、朝の学バス、卒論を書いた図書館、昔ながらのお蕎麦屋さんや定食屋さん、校歌に応援歌、そして……、
不思議である。どうも楽しくない。それどころかキャンパス内を歩いていると、憂鬱な気分になってくる、
理由は明らかだった。学生時代の日々とともに、当時の感情までが甦ってくるからである。十代の終わりから二十代にかけての苦い思い。焦燥感、劣等感、嫉妬心、うらみつらみ。そして孤独感。青春とは何と苦いものなのだろうか。
中国の若者たちと、もがいていた自分の姿が重なってくる。自信に満ち溢れ、大きな夢を語る彼らが、時にふっと「何か苦しいんだ」とつぶやく姿に、胸が痛む。
しかも中国青少年たちの青春は、もっと苛酷だった。馬加爵を代表例とする貧困学生たち、プレッシャーに押しつぶされ、鬱病を患っていく若者、そして自殺するエリートたち。彼らの「苦悩する青春」は、私の学生時代を遥かに超えていたのである。
「もがく心」にアクセスするためにも、スレテオタイプではない、若者たちの姿を描き出したい。それが本書の出発点となった。
私も20代に、証券会社上層部の旧習墨守の索敵&撃滅方式でやみくもに新規開拓の営業マンとして回った街にはもう行きたくないな。中坊の自分、小学校での転居前の幼馴染が戻ってきたとき、憧れていたのにかかわらず、臆病で一言も口を交わせなかった中学校も敬遠している。先方は目で笑っていたような気がしたが。
「党治不了 非典(SARS)治了(党は治せない、SARSが治した)」というのは、もっとも有名な作品となる。人びとが家にこもり外出を控えたので、懸案の社会問題が消えてしまったことを風刺している。
「公費での飲み食い、党は直せず、SARSが治した。公費旅行、党は直せず、SARSが治した。売買春、党は直せず、SARSが治した。
 抗日歌曲が起源となる中国国家には替え歌が出現した。
「起て!感染を望まぬ人々よ!我らがお金で築こう新たな長城を!門を閉ざせ、街を閉ざせ、国を閉ざせ!」(原詞 「起て!奴隷となることを望まぬ人々よ!我らが血肉で築こう新たな長城を!進め!進め!進め!」)
「楽観的にそして闊達に」というサブタイトル付きで回ったのが「SARS、何種類もの死に方」である。中国人も日本人同様、もちろん「死」という言葉を嫌う。しかしこのショートメールに関してはみんなが笑い、緊張しきった神経を、つかの間でもリラックスさせたという。
以下その抜粋。
「SARS的機種死法―
 マスクで息を詰まらせて死ぬ。(予防のため)漢方薬を大量に飲んで中毒死。同僚が感染したと聞いて驚いて死ぬ。電車やバスに乗るのが恐くて毎日歩いて通勤し、疲れて死ぬ、SARSに感染したんじゃないかと心配し、鬱病になって死ぬ。ネットに流言をまき散らし、罵られて死ぬ。家ですることもなく、退屈して死ぬ。本当にSARSにかかる」
 普段なら相当きわどいジョークだろうが、何しろ極限状態である。政府系ネットも、「SARS期の時事民謡は庶民の疫病に対する楽観と闊達な精神を表している。必ず勝利するとの決意と自信の表れで、不屈なる民族の精神の反映である」と一応の理解を示した。
 ぎりぎりの極限状態で生まれたブラックジョーク。自分たちの不幸を笑い飛ばすというたくましさ。ここには弱い心も悲観も何もない。中国人の真骨頂を発揮しているようだ。
 そしてこの時期、ショートメール、ネットを通じて、中国人の連帯感が強まったのも事実である。
コピー機を許さなかったブレジネフ期のソ連との違い。

中国で先端技術を作るには、必要不可欠なものがある。頭脳と資金だ。
「これまでね、モトローラもIBMもエリクソンも、アメリカにいる優秀な中国人を使って研究をしていたわけです。だからアメリカ発の世界特許をばんばん打ち出すことができた。中国にしてみればおもしろくないでしょ、本来自分たちの国の人間なんだから」
 そりゃそうだ。
 優秀な若者がアメリカに行っちゃって、アメリカ人と組んで、アメリカの利益になるようなことをしている。中国としては忸怩たる思いがあっても不思議じゃない。
 そこで一生懸命サインを送った。
 君たち、戻って来いよ。うちに帰って商売しなさい。そのかわり、いっぱい優遇してあげるから。
 その結果、優秀な頭脳が中国へ次々と帰ってきたのである。そして政府の支援のもと、研究を続けたり、また起業したりし始めている。
 では中国人の頭脳と組んでいたアメリカ企業はどうしたのか。
「今度は彼らが中国にやってきたんです。そして同じように、中国の頭脳を使って研究を続けている。わかりやすい話です」
 アメリカのお金と中国の頭脳が組み、中国政府の優遇政策のもと、ITやバイオの世界で相当な研究を進めるという事態になった。
 一方日本はどうなんだろう。
 某経営コンサルタントが、ある日経企業駐在員にこんな提言をした。
「早くモトローラやIBMに負けない、立派な研究開発センターを作るべきですよ。そこに彼らよりいい待遇で中国の優秀な頭脳を取り込んだほうがいい。そうでないと競争に負けてしまいますよ」
 するとこんな答えが返ってくる。
「しかしなあ、なんでローカルスタッフに月5万元(約70万円)も払わなきゃならんのかねえ。現地採用者にとても高額なギャラは払えないよ」
「でもあなただって5万元の給料とってるでしょ」
「私は本社採用の日本人だからね」
 ここでコンサルタントは、キレそうになったとか。のど元から本音が出そうになるのを、必死に押さえたらしい。
「あんたより百倍優秀なんだから、あんたの百倍は給料払って当然なんだよ!」
 だってそうでしょ、と彼は言う。
「日本国内の支社と同じ感覚で中国に来て、高い給料もらって、メイド付きの大きい家に住んで、3~4念したら帰るっていう日本人、いっぱいいるでしょ。そんなのより優秀な中国人がなんで給料五千元(約7万円)なの?」
ノーマン・メイラーが在米中国人について、「どうやらわれわれよりも頭が良いらしい。ローマ帝国のギリシア人のように重責をあたえ、優遇してやろう。ただし、戦士としての政治的決定を下すのはあくまでわれわれ白人のアメリカ人だ」と批判的に『われわれはなぜ戦争をするのか』という著作の中で書いていたのを思い出す。NHKスペシャルでの女性工員を酷使する場面を、おそらく3桁以上反復し中国の強みは人権無視の「チープレーバー」と嘯く知事は残念ながら21世紀の現実を直視できていないようだ。これは藤原正彦氏も同様。

2006-04-04 現代の社会紛争より引用―01 編集


現代の社会紛争CommentsAdd Star

L・ダーレンドルフ『現代の社会紛争』―01
01 革命―歴史のほろ苦い瞬間
 革命は、歴史のほろ苦い瞬間である。少しの間、明るい希望が高まるが、それはすぐに幻滅に変わったり、新しい困難に直面して消滅したりしてしまう。このことは1789年のフランス革命や1917年のロシア革命など、大革命にもあてはまる。革命が勃発するまでは、抑圧や傲慢な権力者の時代、人間的な欲求を冷酷に無視する時代が続く。硬直化した旧体制は特権階級に依存しているので、旧体制の刷新が図られることがあっても、誰ももうその言葉を信用しないから、遅すぎる刷新の計画は遂行できない。人びとはもう旧体制に我慢しない。紛争のエネルギーが蓄積され、張りつめた対決状況へと進んでいく。状況は一瞬即発の危機となり、あとは火花があれば爆発に至る。例えば、不承不承の政治改革から生じる期待感も火花となるし、嘘偽りの時代に向けた銃声から生じる興奮も火花となる。これでもう爆発に至るのであり、古い構造が揺らぎ始める。突然、何も押しとどめられなくなる。昨日の反逆罪が今日は合法行為となり、旧来の法律は違法となる。興奮した人びとの目には、途方もない展望が開けてくる。それは、〈ピープルズ・パワー〉の出現であったり、強固不同な体制全体の溶解であったり、ユートピアの到来であったりする。多くの人が興奮状態に陥り、旧体制の不正だけでなく、社会の束縛そのものも揚棄されたような気分になる。なんとすばらしい時代なのだろう、と。
 ただ、そんな時期は長くは続かず、蜜月はすぐ終わる。日常性が人びとを包み込んでいく。人はしょせん、毎日果てしなくデモだけをしたり、内戦を闘ったりしてはいられないのだ。社会状況が個人個人の境遇に映し出される。騒乱状態は経済発展に役立たず、政治的不安定は不安をかきたてる。〔辛い〕〈涙の谷間〉の時期を回避しようという、善意の試みも実を結ばない。一般的ムードが変わり始め、そのうちに急変する。外国の勢力が干渉してくることもある。それによって、――少なくともユートピアの方は無傷のまま残っても――革命には傷がつく。ときにはジャコバン派のような党派が裏にまわり、バラバラの多数者に替わって支配権力を握る。そもそも「(主権者たる)国民の権力」とは、矛盾を含んではいないだろうか。〈より良い世界〉との美しいスローガンは、すぐに新しいテロ体制を正当化する口実に転化する。それは「期限を限っての」独裁や、外国からの脅威に直面しての非常事態であったり、アノミーの蔓延状況の下、単純にカリスマ的人物が出現したりすることになるかもしれない。いずれにせよ、新たに不自由な状態がもたらされる。何年かして初めて、より若い世代が、それでもやはり根本的な変動がより若い世代が、それでもやはり根本的な変動が生じているのに気づく。そして、革命の始まった日を公的祝日とする旨が宣言される。だが、革命に関与した世代には幻滅が広まり、無気力な隷従、私的幸福への退隠、散発的な虚しい抵抗のなかで、生き長らえようとすることになっている。
 たとえ、この描写が部分的にしか正しくないにしても、そもそも誰が革命など望むのか、人は疑問に思う。まず、大勢の人が革命を期待しているというのは、今では確実でない。たいていの人には、自ら日常生活を中断するのは不安だし、暗い予感もあるので、引き合わない。高温・日照りが長く続く時なら、土砂降りも歓迎されようが、毎日少しずつ降ってくれるほうが、悪天候の下で稲妻がとどろき、ひょうが降るより良いのだ。なるほど、誰もが同じというわけではなく、自由に浮遊する個人がいつも存在している。彼らは、どっしり腰をすえている人とは違って、社会の一時的廃絶に大きな喜びを覚えるのである。それどころか、無政府主義者が組織化されることもある。その上、革命の戦慄は少なからぬ人にとって禁断の魅力でもある。ある意味で革命は、生活に欠かせぬ原理たる〈希望〉と同義語のようなものだからである。
世界思想社 01年初版
オレンジ革命が幻滅に終わった今、ミンスクでは革命は成功するのかな。去年の夏、最上級の美人が小物売り場にいて話題になった愛知万博でのウクライナ館では、政治色の濃いオレンジ革命賛歌がちりばめられていて印象が悪かったなあ。

2006-04-03 時事―01 対中包囲網試論

2006-04-03 時事―01 対中包囲網試論 編集


時事CommentsAdd Stardimitrygorodok

―01 対中包囲網試論
日本が主導する対中国包囲網は現実的に可能かについての一試論
前提 イラク戦争開始前の安保理決議の必要の有無に関してわが国でも行われた論争および常任理事国昇格に失敗した鬱屈感双方が重なった現時点。わが国の指導部の意識、同伴知識人の言説、主流民意いずれにおいても「国連」の重みは戦後最低になっていることを前提とする。
従来からのテンプレ言説(国連って実は連合国だし何と敵国条項があるんだよ)に加えて国連高官の腐敗の公然化(セクハラからネポティズムまで)や常任理事国昇格に長年の被援助国が賛意を示さなかった無力感まで加わり、すっかり権威を喪失している。戦後最低なのは無論、リットン調査団(大歓迎後に報告書が出たときの反転した失望。「認識不足」が当時の流行語)から松岡外相の脱退宣告の70年前に準じるほど国際組織に対する不信感が醸成されている。
反中包囲網の構想は(日印同盟、太平洋(海洋諸国)連合、日露提携、アンザス加盟など)花盛りだ。
繁茂する反中戦略に対する制度的な試論を展開してみる。
ここでは、国際組織として、中国が指導的一翼を担う国際連合から日米同盟を軸に脱退。
(アメリカは実際に悪い意味での多士済々だった国連職員や大使の現地での不祥事の蓄積および反米・反イスラエルの決議の連発の過去などから国連に対する感情はもともと悪い)
その他の「有志連合」を軸に中国を封じ込める国際体制が可能かについて検討してみる。
国際組織上の先例
労働力というのは貿易や貨幣と異なり、国民国家の制度を超える趨勢は少なく(アンダークラスの3K労働とハイレベルの経営者、研究者、技術者を除く大半の労働者部分に関しては少なくとも今までは)、その結果GATTやIMF、WTOと較べると国内生活上に存在感や影響は比較にならないほど少なかった。これは主権国家が単位のILOでも労組が単位のICFTU(国際自由労連)でも同じ。ただ、中国が常任理事国メンバーの国連から脱退してというケースを想定するにあたって、冷戦初期に、世界労連から、西側各国の労組が一斉に脱退して国際自由労連を結成するにいたった経緯は参考になる。
⇒大原社研の記事
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/23/rn1951-427.html
では、現実にこのような中国を疎外した国際組織(実際にソ連を封じ込めたような冷戦初期の体制)が構築可能であるか。以下封じ込めが成立するに至った条件なるものを考え検討してみる。
1) 数千万といわれる在外華人
これは、中国を封じ込める動きの阻害要因として無視してはならないが、「歴史の歯車」が回った段階では決定的要因とはならない。よく言われることだが、第一次、第二次大戦にアメリカは参戦したが本国に膨大なドイツ系移民を抱えていた。実のところアイルランド系をイギリス系に加味しなければドイツ系が白人アメリカ人の中で最も多い。アイゼンハワーはドイツ系移民の子だった。もっとも、社会的影響力という意味では、イギリス系の方が当時は圧倒的に大きかったのは無論だが。在外華人自体も、反政府立場に親近感を示すという状況も清の末期には目立った。ただ、統治能力を維持している限り、少数の急進派を除き反政府をサポートするという事態は考えにくい。
2) 膨張傾向の有無
反中論者の危機感と異なり、中国は膨張傾向をとっているとはいえない。衛星国作りに精を出した70年代のブレジネフソ連(対外強硬派のジャクソニアンデモクラッツを生み、それがネオコンに転じたのだが)とは大きく異なる点である。現在の友好関係の主眼は台湾の国際空間での封じ込めのためのマイクロステーツ外交と専制もしくはポピュリズムで西側が敬遠してニッチになっている国家との実務的な提携である。(ミャンマー、イラン、スーダン、ベネズエラ)
冷戦期にブレジネフソ連に対抗して、ごく僅かに抱えていた親中衛星国(ベナン、タンザニア)からは15年以上前に手を引いている。これは、鄧小平の政治的遺言(米国とは国際空間で争わず、国力涵養に努める)に則っている。余談だが、ここ数年の塩野七生の日本に対する提言と一致しているのが面白い。
スペインの内乱に突っ込んでいったナポレオン・フランスやユーゴのクーデターに激昂して侵攻で貴重な時間を浪費したヒトラードイツ、南部仏印に進駐して米国に開戦決意をさせた戦前日本とも異なる点である。
もしも、反中論客が言うように、中国が膨張帝国なら、どことも軍事同盟がなく、戦力規模と軍事格差は半世紀前のチベットとどっこいどっこいのモンゴルに何故進駐して傀儡政権を樹立しないのか不思議だ。
(沖縄には本土から転居したクリスチャンの芸術家が矢鱈「最前線にいる身として」と繰り返す。貴女は東方騎士団のつもりですか?高い知性には敬意を払っていますが)
3) 外交的自己抑制能力の有無
抑制能力を喪った国家としては、現代ではアフマディネジャド大統領のイランなどが上げられるだろう。ハタミの時代に形成した欧州との関係の遺産はすっかり磨耗してしまった。
イラク戦争での対立の後遺症もあるのだろうが、欧州も対イランに腹をくくったようだ。
では、現在の中国がそれにあたるか。これは疑問である。日中関係、中台関係、中米関係から、強硬論者の言説のみを採取すればなるほど、中国が「共存不能な主敵」に仕上げることも可能である。だが、中国の周辺国家外交をみてみると、また違った視野が開けてくる。

北方領土問題―4でも0でも、2でもなく (中公新書)

この本ではこの10年で中国が対ロシア、対中央アジア、対インド、対ベトナムのそれぞれ二国間関係でもっともセンシティブな領土問題を次々に決着させていたのが判る。しかも決着の内容は経済勃興を背景に嵩にかかったやり方ではなく、中国側の大胆な譲歩も含んでいる。このような抑制された外交ができる国家に対して、恐怖におののいた合従同盟が構築できるかは大いに疑問だ。
4) 開放したマーケット
これは大きい。輸出も輸入もこの上なく大きい。「金に目がくらんで」という経済界にたいする非難も浴びせられるが、そういった攘夷的心情は別にして、他国の首脳の立場では、うまくこの市場にアクセスすれば、日本が戦後米国市場を利用して経済的離陸を遂げたのと同じことができるかもと、まだ先進国でない国ならいずれも考えるはずだ。この甘い大きなケーキに対して、諸国が揃って禁欲的になれるというのは上記2)から3)が予測不能の現実的脅威となった場合であろう。
5) マイクロステーツの数
日本はODA疲れと常任理事国昇格外交での敗北から、小国というと国連から疎外された台湾のみが目につくようだが、仮に国連から脱退した有志連合を形成するとしたら、実際の国力や経済規模はふけばとぶような規模でも、ウィーン条約以来の主権国家平等の建前に基づき、数をかき集めることが肝要になる。この場合、小国は新しい組織に飛び移るのに躊躇するであろう。国連加盟という意義が、独立以来の国家の歴史と結びついている場合はなおのことである。そして、G8の主要国やスペイン、オーストラリアは例え自国として関係なくても、日本が連携を予想する主要国家のうち少なくとも3カ国はそのような国連が独立のアイデンティとほとんど同義の数多の小国との歴史的なしがらみを抱えている。
フランスはアフリカを中心としたフランス連合。イギリスは英連邦。アメリカは米州機構に参加するカリブ諸国や太平洋のマイクロステーツ。これらの国が揃って、現実的な体制転覆の脅威もないのに(戦後のソ連に対してはあった)、新しい国際組織に引っ越すことが出来うるだろうか。
6) 小異を残して大同につく精神
一部の在野の反中封じ込め構想では、ロシアに対し北方領土問題を妥協して反中包囲網に加えるべきとの試論もみられる。ただ、ロシアは上記4)の中国のマーケットにやる気マンマンなことを留意せねばならない。他方、櫻井良子氏をはじめとするメインの言説は「100年経っても不法占領は不法占領」とイナバ物置みたいなことを言われる。数十年後、誰一人、北方領土で生まれた日本人がいないのに、領土返還(いかなる名目形式であろうとも)が行われた場合、かえって国際社会の国家間関係に不安定要素を持ち込むことになろうかと思うのだ。日露戦争が有色人種の抵抗運動、アフガン敗戦がイスラム覚醒運動に非常に隔たった遠方まで活性化させたように、条約上決着がみたとしてもさまざまな非妥協論者が日本に続けと強硬論をカマス可能性は危険だ。(パレスチナやコソボやその他たくさんある)
次に、韓国。これは上とは逆に櫻井氏や指導部の強硬派(地理的位置関係が近接しているからかもしれないが、麻生氏にしろ、安倍氏にしろ中韓を一緒くたに扱ってはならないという立場をとっている。リアリスティックな意見といえよう)は韓国の保守層との同盟関係再興を真剣に考えている。
しかし、ネットや論壇誌上の「威勢のいい」言説は韓国や現政権を完全に愚弄したものがはびこっている。むじな台湾ブログが言うように、隣国とすら協調できなくて、対中国包囲網が築けると考える方がどうかしている。
ここで、冷戦初期の西側と東側が好対照をなしている。戦後の西側は結束したものの、社会市場経済をとったドイツやベヴァリッジ報告に基づくイギリス労働党福祉国家施策などは米国の政治基準からいえば決して受け入れられない左であった。にもかかわらず、マーシャルプランを発動したのだ。ドイツの社民党には共産党の幹部の経歴を持つものすらいた。(西ベルリン市長のロイター、院内総務のヴェーナー)さらに、外交政策においても、中共政府を承認した英国、フランスに対して事実上黙認した。マッカーシズムの引き締めは国内や占領日本を越えることはなかった。
他方、スターリンは生意気なチトーのユーゴスラビアを破門し、冷戦初期における重要な戦力を自ら毀損した。韓国を侮蔑し、特亜と一視冷笑する態度はスターリン並みの狭量さとこらえ性の無さを印象付ける。
7) 日本の援助なかりせば
ODA廃止の次は、ADBも締め上げろと威勢のいい論者はいう。10年前だったら効果があったかもしれない。ただ、中ソ対決のさなかにフルシチョフが対中援助、派遣技術者を総引き上げしたときも、中国側は膝を屈することなく、逆に「主敵はソ連」と見定め、米国との和解を模索した。私は外交巧者の中国に主敵と認識されることは正直リスキーだと思う。それにこの問題を出すとき、少なくとも外貨準備世界1か2の国に貸し手が現れないということは考えにくいということを忘れてはならない。
8) 永遠の●●人
日本の反中共言説と欧米のそれとのもっとも大きな違いがひとつある。日本の言説は中国人の(将来の「自由の戦士」を期待する少数民族を除外し)一人っ子政策をほとんど問題にしない。漢民族の数に対しては本能的な怖れを抱いている。逆に、最も激烈な反中論者は中共当局の死刑の執行の個別事案に対しては敬意を払ったりもする。
さらに移民に対しても、いくら来日中国人の犯罪が目立とうとも、少なくとも有望ないし指導的な人材を受け入れる、もしくは自由と民主の風土で包摂し、逆に在米ポーランド人、在加ウクライナ人社会が出身国の民主化運動の基地となったことを参照しようとはしない。「永遠のユダヤ人」ばりの中華思想に呪われた漢民族は矯正不能ばりの言説がはびこっている。
反ボリシェビズムの連帯を構想した(実務能力は皆無だったが)ローゼンベルクよりもスラブ民族はみんな農奴というヒトラー的立場の考え方が本屋の書棚をみる限り多いようだ。
そして、これらの言説は国内国外を切断するのは詮無き話なので在日外国人(訂正⇒日本語英語ができる人間なら誰であろうと)を通して海外にも漏出しているとみるべきだ。●●アルとか●●ニダといった下品な口吻が国内のお遊戯で留まると思ったら大間違いだ。こういったタイプの民族的からかいは前世紀の中東欧でイディッシュ語なまりを愚弄した反ユダヤパンフや黒人訛りを愚弄した白人至上主義グループの言説と否も応もなく比較される。欧米では差別感情はあるとはいえ、言説空間では完全に周縁化されている。ところが、日本では活性化して、政府指導部は黙殺しているとはいえ、同伴知識人がそれをたしなめないのだ。他者をカテゴライズして貶める快楽は誰しもが持つ(それが階級であろうと、普通/変な人であろうと)心情であるとはいえ、冷笑アディクションの日本と戦略的に組む国が多数現れるとは思えない。もちろん、反日情宣をする人はこの種の傾向と食い違いを最大限に強調するであろう。

上記条件を考えると、対中国包囲網なるものは現実的に、極めて成功しにくい。では、対中包囲網に乗ってこない主要国が22世紀まで中国共産党と付き合うつもりと考えているかというとそうではないと思う。最高指導部から地方の幹部の子弟に至るまで欧米の学校を卒業している。欧米は自由と民主の浸透力を信じているのだ。もちろん、独裁と特権は癒着するゆえ、チャップリンの「独裁者」のような権力者が回心する場面は現実場裏では現れない。21世紀の半ばにはモンゴルタイプの民主化を遂げるのならば、(そういった可能性は大いにある)動乱期を望むよりも受容可能な選択だと考えるのではないか。最終的には中国人が決めることだが。
追記⇒少しモンゴルの民主化を探ってみたが、大言壮語の実務能力皆無の人間を一時指導部に戴き、国の混乱を招いた点でも、あまり理想的とはいえぬ。民主化過程で混乱なくスムーズに移行できたという意味ではAAランクがチリ、スペイン、スロベニア。Aランクが韓国、ギリシア、チェコ、ポーランドといったところじゃないかな。

2006-04-02 「神様はつらい」より引用2 編集CommentsAdd Star



  1. 「神様はつらい」より引用
革命家アラータとルマータとの会話
 遠い旅の前に一眠りすることをプダフに勧めると、ルマータは自分の書斎に向かった。スポラミンの作用は終わろうとしていて、彼はふたたび疲労と衰弱を感じ、打撲傷がうずき、なわで痛めつけられた手首が腫れてきた。一眠りしないといけない、と彼は思った。一眠りして、ドン・コンドルと連絡をとらないといけない。そして、パトロールの飛行船と連絡をとって、基地に報告してもらわねばならない。いまやわれわれは何をなすべきか、そもそも何かをすることができるのかどうか、もしも、もはや何もすることができないとすれば、どうしたらいいかを考えねばならない。
 書斎に入ると、机に向かって、頭巾をまぶかにかぶった黒装束の修道僧が、高い肘掛に両手をのせて、安楽椅子に背中を丸くして座っていた。すばしこい、とルマータは思った。
「何者かね?」彼は大儀そうに尋ねた。「誰がお前を通したのだ?」
「こんにちは、高貴なドン・ルマータ」修道僧は頭巾をはねのけながら言った。
ルマータは首を振った。
「すばしこいね!」と彼は言った。「こんにちは、アラータ、どうしてここに?何があったのですか?」
「相変わらずです」とアラータは言った。「軍隊がちりぢりになって、みんな土地を分けていますよ。誰も南へは行きたがりません。公爵は生き残った連中を集めていますから、間もなくエストル街道に沿ってわたしの農民たちがさかさ吊りにされるでしょう。なにもかも相変わらずです」と彼は繰り返した。
「なるほど」とルマータは言った。
 彼は寝椅子に寝ころがり、手を頭の下にあてがって、アラータを眺めた。20年前、アントンが模型をつくって、ウイリアム・テルの遊びをしていたころ。この男は美男子のアラータを呼ばれていて、その頃はこの男も今とは全然違っていたに違いない。
 美男子のアラータの秀でた額にはこのような醜い紫色の烙印はなかった。その烙印はソアンの船大工たちの一揆の後でつけられたものだ。その一揆では、王国の各地からソアンの造船所にかり集められ、自己保存の本能さえ喪失するほどに苦しめられた三千人の裸の船大工の奴隷が、ある嵐の夜、港からなだれをうって繰りいで、さえぎる者を殺し、家々に火をつけてソアンの町をねり歩き、町はずれで甲冑に身を固めた王国の歩兵に迎撃された……
 それに、もちろん、美男子のアラータは目は二つともそろっていた。右の目は男爵の矛のすさまじい打撃によって眼窩から飛び出してしまった。二万の農民軍が男爵の親兵を追って首都を駆けまわり、広大な野原で肯定の五千の近衛隊と衝突し、たちまち切り崩され、包囲され、軍用らくだの棘のついた蹄鉄で踏みにじられたときのことであった……
 それに、おそらく、美男子のアラータはポプラのようにすんなりしていたに違いない。しかし、ここから海二つ隔てたところにあるウバン公国の農民戦争のあとではアラータもせむしになり、新しいあだ名を頂戴することになった。その戦争とは、7年間もペストと旱魃に苦しんで骸骨同然となった四十万の能動が、熊手や車の長柄を振りまわして貴族たちを殺害し、ウバン大公の居城を包囲した事件である。そうでなくてさえ頭の弱い大公は恐怖にあわてふためいて、臣民に納税の免除を宣言し、酒税を五分の一に引き下げ、身分的な解放を約束した。アラータはそのとき早くも戦いの失敗を予見しつつも、欺瞞にのらないように懇願し、要求したのだが、現状に甘んじるべきだと考える一揆の頭目たちに捕らえられ、鉄棒で打ちのめされ、ごみだめに投げこまれた……
 
 アラータの右の手首にある太い哲のブレスレットは、彼がまだ美男子と呼ばれていた頃のものに違いない。そのブレスレットは海賊のガレー船の舵に鎖でつながれていた。アラータは鎖を断ち切り、そのブレスレットで女好きのエガ船長のこめかみを殴りつけ、船を奪い、つづいて海賊の全船団を征服して、海上に自由な共和国をつくろうとした……しかしその目論見も酒と流血の大混乱で幕となってしまった。アラータがまだ若すぎて憎むことを知らず、奴隷を神の位置に高めるためには自由を与えるだけで十分だと考えていたからである……
 これは中世には珍しい職業的な反逆者で、神の慈悲の復讐者であった。歴史の進化はときおりこのようなカマスを生み出し、社会の泥沼を泳がせて、貴族の支配下にあるプランクトンを貪っている脂ぎったフナどもの眠りをさまさせる……アラータはこの地においてルマータが憎しみも憐れみも感じなくてすむ唯一の人間であり、ルマータは、五年間を血と悪臭の中で暮らした地球人らしい熱病患者のような眠りのなかで、自分がこのアラータになっているような夢をしばしば見た。この世のすべての地獄を味わいつくした人間なるがゆえに、殺人者を殺し、拷問者を拷問し、裏切り者を裏切る崇高な権利を持っている人間……
「ときおり、われわれはみんな無力なのだという気がして仕方がない」とアラータは言った。「私は反逆者の永遠の頭目で、私の力は私がまれにみる生命力の持ち主だということにある、ということは私も知っている。だが、この力も私の無力感には役に立たない。私の勝利はいつも魔法のように敗北に変わってしまう。私の戦友は敵になってしまうし、一番勇敢だと思っていた連中が逃げ出すし、一番忠実な連中が裏切ったり、死んでしまったりする。私には素手以外には何もない。だけど、素手では、城壁の奥に鎮座しているあの金めっきの偶像どもをつかみ出すことはできない……」
「あなたはどうやってアルカナルにやってきたのです?」とルマータは尋ねた。
「修道僧たちと一緒に船で来ました」
「それは気違いざたですよ。すぐに見破られてしまう……」
「修道僧のなかに入っていなければ大丈夫です。神聖軍団の将校は私のように白痴かかたわです。かたわ者は神様に好かれているんですよ」アラータはルマータの顔を見て冷ややかに笑った。
「それであなたは何をするつもりです?」ルマータは目を伏せて尋ねた。
「相変わらずです。私は神聖軍団がどういうものか知っていますよ。一年もたたないうちに、アルカナルの市民たちは斧をもって自分らの穴からとび出して、街頭で喧嘩をおっぱじめるでしょう。私は、連中を導いて、必要なやつをやっつけ、仲間討ちをしたり、誰かれかまわず殺すような真似をさせないようにするのです」
「お金が必要になるでしょうね?」ルマータは尋ねた。
「ええ、相変わらずです。それに武器も……」アラータはちょっとのあいだ口をつぐんで、それから取り入るような声で言った。「ドン・ルマータ、あなたは、あなたの正体を知ったとき私がどんなにがっかりしたかを覚えていらっしゃいますか?私は坊主どもが憎くてたまらないのですが、残念ながら、連中のうそっぱちの作り話は本当でした。でも、私のような無一文の反逆者はあらゆる状況から利益を引き出さねばなりません。神様は稲妻を持っている、と坊主どもは言います……ドン・ルマータ、城壁を打ち破るために、私には稲妻がぜひ必要です」
 ルマータは深く溜息をついた。アラータをヘリコプターで奇蹟的に救出したとき、アラータはしつこくその説明を求めた。ルマータは自分のことを話そうと思って、夜空にかすかに見える小さな星となって輝いている地球の太陽を指さしてもみた。しかし、この反逆者が理解したことは、いまいましい坊主どもが言うように、天には全知全能の神が実際にいる、ということだけだった。それ以来、ルマータと話をするたびに、アラータは、あなたは神様なのだから、あなたの力を私にくれ、それがあなたにできる最高のことなのだ、ということにいつも話の結論をもっていってしまった。
 そのたびにルマータは返答を避けるか、でなければ話題を変えてしまっていた。
「ドン・ルマータ、どうしてあなたは私を助けようとしないのです?」とアラータは言った。
「ちょっと待って」とルマータは言った。「申し訳ないが、あなたがどうやってこの家に入り込んだか教えてくれないかね?」
「そんなことは大したことじゃないですよ。この道は私のほかは誰も知りませんよ。話をそらさないでください。ドン・ルマータ。どうしてあなたの力をわれわれに貸してくれないのです?」
「その話はやめましょう」
「いや、そのことを話しましょう。あなたを呼んだのは私ではありません。あなたが自分で私のところにやってきたのです。それともあなたは単に気晴らしをしようとしただけなのですか?」
 神さまでいることはつらい、とルマータは思った。彼は辛抱づよく言った。
「あなたはわかってくれない。私が神ではないことはもう二十回もあなたに説明したけれど、あなたはついに信じてくれなかった。だから、私がどうしてあなたに武器を援助することができないかということも、あなたにはわかってもらえないと思う……」
「あなたは稲妻をもっていますか?」
「私はあなたに稲妻を渡すことはできない」
「そんなことはもう二十回もうかがいました」とアラータは言った。「いま知りたいのは、その理由です」
「もう一度繰り返すけど、説明してもあなたはわかってくれないでしょう」
「それでも説明してみてください」
「あなたは稲妻を使って何をするつもりです?」
「金ぴかの無頼漢どもを南京虫のように焼きつくすのです。一人残らず、やつらの呪われた一族を十二代の子孫にいたるまでやっつけます。私は連中の城を叩きつぶしてやる。やつらの軍隊を焼きはらい、やつらを擁護し、やつらの支持する連中を一人残らずやっつけてやる。心配なさらなくてもいいですよ。あなたの稲妻は良いことのためにしか使いません。この地上が解放された奴隷だけになり、平和が訪れたら、私は稲妻をあなたに返し、二度とそれをお願いするようなことはいたしません」
 アラータは口をつぐんで、苦しそうに息をしていた。顔は血がのぼって黒ずんでいた。彼は早くも、炎につつまれた王国を、廃墟にまじる焼死体の山を、〈自由だ!自由だ!〉と歓喜する勝利者の大軍を思い描いているに違いない。
「いや、だめだ」とルマータは言った。「私はあなたに稲妻を渡すことはできない。そんなことをすれば過ちをおかすことになる。私の言うことを信じてほしい、私はあなたよりももっと先を見越している……(アラータはうなだれて聞いていた)」ルマータはこぶしを握りしめた。「私は一つの理由だけを言います。この理由は根本的な理由に較べればとるに足らないのだが、しかし、これならあなたにも理解できるだろうと思う。アラータ、あなたは強い生命力をもっている。だが、そのあなただって不死身ではないはずだ。もしもあなたが死んで、稲妻があなたのように純粋ではない人の手に渡ったとしたら、その結果は、考えただけでも恐ろしい……」
 二人は長いあいだ黙っていた。ルマータは旅行用のトランクからエストル酒の瓶と食糧を取り出して、それを客の前に置いた。アラータは顔をあげずにパンをちぎり、酒を飲みはじめた。ルマータは自分が二分されてしまったような奇妙な気分を味わっていた。彼は自分が正しいことを知っていた。しかし、それにもかかわらず、その正しさがアラータの前で彼自身の立場をひどく屈辱的なものにしていまっていた。明らかにアラータはある点において彼よりも格段に勝っていた。それも単に、ルマータに対してだけではない。招かれもしないににこの惑星にやってきて、無力な憐れみだけを心に抱きながら、無情な仮説とここでは通用しないモラルの立場から、高みの見物のように、恐ろしく煮えたぎるこの惑星の生活を観察しているすべての地球人に対して、アラータは優っていた。喪うことなしには何も得られないことをルマータははじめて実感として感じた。われわれは善の王国ではアラータよりもはるかに強いが、悪の王国ではアラータよりもはるかに弱い……
「あなたは天から降りてこない方がよかったのです」と急にアラータが言った。「天にお帰りなさい。あなたはわれわれに害を与えるだけです」
「そんなことはない」ルマータは穏やかに言った。「少なくとも、私たちは誰にも害を与えていないよ」
「違います。害を与えています。あなたは根拠のない希望を吹きこみました……」
「誰に対して?」
「私にです。ドン・ルマータ、あなたは私の意志の力を弱めてしまいました。以前の私にとって頼りになるものは自分自身だけでした。ところが今はあなたのおかげで、自分の背後にいつもあなたの力を感じています。以前の私は、たたかいのたびに、そのたたかいが自分にとって最後のものだと思ってたたかっていました。ところが、今の私は、知らず知らずのうちに、あなたが参加してくれるもっと別の決定的なたたかいのために自分を温存するようになってしまいました……ここを立ち去ってください、ドン・ルマータ、もとの空へもどって、もう二度と来ないでください。さもなければ、あなたの稲妻を貸してください。あなたの鉄の鳥をくださるだけでもいい。でなければ、あなたは剣を抜いて、われわれの先頭に立ってください」
 アラータは口をつぐんで、ふたたびパンに手を伸ばした。ルマータは爪がなくなっている彼の指を眺めた。爪は二年前にドン・レエバがみずから特殊な器具を使って剥ぎ取ってしまったのである。君はまだすべてを知らない、とルマータは思った。君はまだ敗北の運命を担っているのは君だけだと思って、みずからをなぐさめている。君の事業そのものが絶望的だということを君はまだ知らない。敵は君の兵士たちの外にあるというよりむしろ内部にいるということを君はまだ知らない。ことによると、君はまだ神聖軍団を倒すかも知れないし、農民一揆の波は君をアルカナルの玉座にまつりあげ、君は貴族たちの城を破壊しつくし、男爵どもを入り江に沈め、立ち上がった民衆は、偉大な解放者としての君に最大の敬意を払い、一方、君は善良さと賢明さを発揮して、君の王国で唯一の善人、唯一の賢人になるかも知れない。君は君の善意にもとづいて土地を君の仲間たちに分け与えるだろう。しかし、君の仲間たちにとって農奴のいない土地が何の役に立つだろうか?そこで、車輪は逆の方向へ回転しはじめる。君。死んでしまって昨日の君の忠実な兵士のなかから新しい伯爵や男爵が生まれ出るさまを君が目撃しなくてすむとしたら、それは君にとってせめてもの幸せというものだ。すばらしい人間、アラータよ、私たちの地球でも、君のこの惑星でもそういうことはしばしば繰り返されたのだ。
「黙っているのですか?」とアラータは言った。彼は皿を押しやって、テーブルのパンくずを法衣の袖で払い落とした。「以前私には親友がいました」と彼は言った。「あなたも多分お聞きになったことがあるでしょう。ヴァガ・コレソという男です。私と彼とは一緒に活動を始めました。のちにあの男は盗賊になり、夜の支配者になりました。私はやつの裏切りを許しませんでしたし、やつもそのことを知っていました。やつは、恐ろしさと利益とを考えてのことでしょうが、よく私に援助してくれました。しかし、決して戻ってこようとはしませんでした。やつはやつなりの目標があったからでしょう。二年前にやつの部下が私をドン・レエバに売り渡しました……」アラータは自分の指に目をやって、その指でこぶしを握った。「今朝私はアルカナルの港でやつを追いつめましたよ……われわれの仕事においては半分の友というのはありえません。半分の友は、いつも半分の敵です」アラータは立ち上がって頭巾をまぶかにかぶった。「金はいつもの場所にありますね、ドン・ルマータ?」
「そう」とルマータはゆっくりといった。「いつもの場所にある」
「それでは行きます。どうもありがとう、ドン・ルマータ」
 アラータは音もなく書斎を横切って扉の向こうに姿を消した。下の玄関でかすかにかんぬきの音がした。
 
世界SF全集 24 早川書房 絶版 1970年初版より

2006-04-02 「神様はつらい」より引用2

2006-04-02 「神様はつらい」より引用2 編集CommentsAdd Star



  1. 「神様はつらい」より引用
革命家アラータとルマータとの会話
 遠い旅の前に一眠りすることをプダフに勧めると、ルマータは自分の書斎に向かった。スポラミンの作用は終わろうとしていて、彼はふたたび疲労と衰弱を感じ、打撲傷がうずき、なわで痛めつけられた手首が腫れてきた。一眠りしないといけない、と彼は思った。一眠りして、ドン・コンドルと連絡をとらないといけない。そして、パトロールの飛行船と連絡をとって、基地に報告してもらわねばならない。いまやわれわれは何をなすべきか、そもそも何かをすることができるのかどうか、もしも、もはや何もすることができないとすれば、どうしたらいいかを考えねばならない。
 書斎に入ると、机に向かって、頭巾をまぶかにかぶった黒装束の修道僧が、高い肘掛に両手をのせて、安楽椅子に背中を丸くして座っていた。すばしこい、とルマータは思った。
「何者かね?」彼は大儀そうに尋ねた。「誰がお前を通したのだ?」
「こんにちは、高貴なドン・ルマータ」修道僧は頭巾をはねのけながら言った。
ルマータは首を振った。
「すばしこいね!」と彼は言った。「こんにちは、アラータ、どうしてここに?何があったのですか?」
「相変わらずです」とアラータは言った。「軍隊がちりぢりになって、みんな土地を分けていますよ。誰も南へは行きたがりません。公爵は生き残った連中を集めていますから、間もなくエストル街道に沿ってわたしの農民たちがさかさ吊りにされるでしょう。なにもかも相変わらずです」と彼は繰り返した。
「なるほど」とルマータは言った。
 彼は寝椅子に寝ころがり、手を頭の下にあてがって、アラータを眺めた。20年前、アントンが模型をつくって、ウイリアム・テルの遊びをしていたころ。この男は美男子のアラータを呼ばれていて、その頃はこの男も今とは全然違っていたに違いない。
 美男子のアラータの秀でた額にはこのような醜い紫色の烙印はなかった。その烙印はソアンの船大工たちの一揆の後でつけられたものだ。その一揆では、王国の各地からソアンの造船所にかり集められ、自己保存の本能さえ喪失するほどに苦しめられた三千人の裸の船大工の奴隷が、ある嵐の夜、港からなだれをうって繰りいで、さえぎる者を殺し、家々に火をつけてソアンの町をねり歩き、町はずれで甲冑に身を固めた王国の歩兵に迎撃された……
 それに、もちろん、美男子のアラータは目は二つともそろっていた。右の目は男爵の矛のすさまじい打撃によって眼窩から飛び出してしまった。二万の農民軍が男爵の親兵を追って首都を駆けまわり、広大な野原で肯定の五千の近衛隊と衝突し、たちまち切り崩され、包囲され、軍用らくだの棘のついた蹄鉄で踏みにじられたときのことであった……
 それに、おそらく、美男子のアラータはポプラのようにすんなりしていたに違いない。しかし、ここから海二つ隔てたところにあるウバン公国の農民戦争のあとではアラータもせむしになり、新しいあだ名を頂戴することになった。その戦争とは、7年間もペストと旱魃に苦しんで骸骨同然となった四十万の能動が、熊手や車の長柄を振りまわして貴族たちを殺害し、ウバン大公の居城を包囲した事件である。そうでなくてさえ頭の弱い大公は恐怖にあわてふためいて、臣民に納税の免除を宣言し、酒税を五分の一に引き下げ、身分的な解放を約束した。アラータはそのとき早くも戦いの失敗を予見しつつも、欺瞞にのらないように懇願し、要求したのだが、現状に甘んじるべきだと考える一揆の頭目たちに捕らえられ、鉄棒で打ちのめされ、ごみだめに投げこまれた……
 
 アラータの右の手首にある太い哲のブレスレットは、彼がまだ美男子と呼ばれていた頃のものに違いない。そのブレスレットは海賊のガレー船の舵に鎖でつながれていた。アラータは鎖を断ち切り、そのブレスレットで女好きのエガ船長のこめかみを殴りつけ、船を奪い、つづいて海賊の全船団を征服して、海上に自由な共和国をつくろうとした……しかしその目論見も酒と流血の大混乱で幕となってしまった。アラータがまだ若すぎて憎むことを知らず、奴隷を神の位置に高めるためには自由を与えるだけで十分だと考えていたからである……
 これは中世には珍しい職業的な反逆者で、神の慈悲の復讐者であった。歴史の進化はときおりこのようなカマスを生み出し、社会の泥沼を泳がせて、貴族の支配下にあるプランクトンを貪っている脂ぎったフナどもの眠りをさまさせる……アラータはこの地においてルマータが憎しみも憐れみも感じなくてすむ唯一の人間であり、ルマータは、五年間を血と悪臭の中で暮らした地球人らしい熱病患者のような眠りのなかで、自分がこのアラータになっているような夢をしばしば見た。この世のすべての地獄を味わいつくした人間なるがゆえに、殺人者を殺し、拷問者を拷問し、裏切り者を裏切る崇高な権利を持っている人間……
「ときおり、われわれはみんな無力なのだという気がして仕方がない」とアラータは言った。「私は反逆者の永遠の頭目で、私の力は私がまれにみる生命力の持ち主だということにある、ということは私も知っている。だが、この力も私の無力感には役に立たない。私の勝利はいつも魔法のように敗北に変わってしまう。私の戦友は敵になってしまうし、一番勇敢だと思っていた連中が逃げ出すし、一番忠実な連中が裏切ったり、死んでしまったりする。私には素手以外には何もない。だけど、素手では、城壁の奥に鎮座しているあの金めっきの偶像どもをつかみ出すことはできない……」
「あなたはどうやってアルカナルにやってきたのです?」とルマータは尋ねた。
「修道僧たちと一緒に船で来ました」
「それは気違いざたですよ。すぐに見破られてしまう……」
「修道僧のなかに入っていなければ大丈夫です。神聖軍団の将校は私のように白痴かかたわです。かたわ者は神様に好かれているんですよ」アラータはルマータの顔を見て冷ややかに笑った。
「それであなたは何をするつもりです?」ルマータは目を伏せて尋ねた。
「相変わらずです。私は神聖軍団がどういうものか知っていますよ。一年もたたないうちに、アルカナルの市民たちは斧をもって自分らの穴からとび出して、街頭で喧嘩をおっぱじめるでしょう。私は、連中を導いて、必要なやつをやっつけ、仲間討ちをしたり、誰かれかまわず殺すような真似をさせないようにするのです」
「お金が必要になるでしょうね?」ルマータは尋ねた。
「ええ、相変わらずです。それに武器も……」アラータはちょっとのあいだ口をつぐんで、それから取り入るような声で言った。「ドン・ルマータ、あなたは、あなたの正体を知ったとき私がどんなにがっかりしたかを覚えていらっしゃいますか?私は坊主どもが憎くてたまらないのですが、残念ながら、連中のうそっぱちの作り話は本当でした。でも、私のような無一文の反逆者はあらゆる状況から利益を引き出さねばなりません。神様は稲妻を持っている、と坊主どもは言います……ドン・ルマータ、城壁を打ち破るために、私には稲妻がぜひ必要です」
 ルマータは深く溜息をついた。アラータをヘリコプターで奇蹟的に救出したとき、アラータはしつこくその説明を求めた。ルマータは自分のことを話そうと思って、夜空にかすかに見える小さな星となって輝いている地球の太陽を指さしてもみた。しかし、この反逆者が理解したことは、いまいましい坊主どもが言うように、天には全知全能の神が実際にいる、ということだけだった。それ以来、ルマータと話をするたびに、アラータは、あなたは神様なのだから、あなたの力を私にくれ、それがあなたにできる最高のことなのだ、ということにいつも話の結論をもっていってしまった。
 そのたびにルマータは返答を避けるか、でなければ話題を変えてしまっていた。
「ドン・ルマータ、どうしてあなたは私を助けようとしないのです?」とアラータは言った。
「ちょっと待って」とルマータは言った。「申し訳ないが、あなたがどうやってこの家に入り込んだか教えてくれないかね?」
「そんなことは大したことじゃないですよ。この道は私のほかは誰も知りませんよ。話をそらさないでください。ドン・ルマータ。どうしてあなたの力をわれわれに貸してくれないのです?」
「その話はやめましょう」
「いや、そのことを話しましょう。あなたを呼んだのは私ではありません。あなたが自分で私のところにやってきたのです。それともあなたは単に気晴らしをしようとしただけなのですか?」
 神さまでいることはつらい、とルマータは思った。彼は辛抱づよく言った。
「あなたはわかってくれない。私が神ではないことはもう二十回もあなたに説明したけれど、あなたはついに信じてくれなかった。だから、私がどうしてあなたに武器を援助することができないかということも、あなたにはわかってもらえないと思う……」
「あなたは稲妻をもっていますか?」
「私はあなたに稲妻を渡すことはできない」
「そんなことはもう二十回もうかがいました」とアラータは言った。「いま知りたいのは、その理由です」
「もう一度繰り返すけど、説明してもあなたはわかってくれないでしょう」
「それでも説明してみてください」
「あなたは稲妻を使って何をするつもりです?」
「金ぴかの無頼漢どもを南京虫のように焼きつくすのです。一人残らず、やつらの呪われた一族を十二代の子孫にいたるまでやっつけます。私は連中の城を叩きつぶしてやる。やつらの軍隊を焼きはらい、やつらを擁護し、やつらの支持する連中を一人残らずやっつけてやる。心配なさらなくてもいいですよ。あなたの稲妻は良いことのためにしか使いません。この地上が解放された奴隷だけになり、平和が訪れたら、私は稲妻をあなたに返し、二度とそれをお願いするようなことはいたしません」
 アラータは口をつぐんで、苦しそうに息をしていた。顔は血がのぼって黒ずんでいた。彼は早くも、炎につつまれた王国を、廃墟にまじる焼死体の山を、〈自由だ!自由だ!〉と歓喜する勝利者の大軍を思い描いているに違いない。
「いや、だめだ」とルマータは言った。「私はあなたに稲妻を渡すことはできない。そんなことをすれば過ちをおかすことになる。私の言うことを信じてほしい、私はあなたよりももっと先を見越している……(アラータはうなだれて聞いていた)」ルマータはこぶしを握りしめた。「私は一つの理由だけを言います。この理由は根本的な理由に較べればとるに足らないのだが、しかし、これならあなたにも理解できるだろうと思う。アラータ、あなたは強い生命力をもっている。だが、そのあなただって不死身ではないはずだ。もしもあなたが死んで、稲妻があなたのように純粋ではない人の手に渡ったとしたら、その結果は、考えただけでも恐ろしい……」
 二人は長いあいだ黙っていた。ルマータは旅行用のトランクからエストル酒の瓶と食糧を取り出して、それを客の前に置いた。アラータは顔をあげずにパンをちぎり、酒を飲みはじめた。ルマータは自分が二分されてしまったような奇妙な気分を味わっていた。彼は自分が正しいことを知っていた。しかし、それにもかかわらず、その正しさがアラータの前で彼自身の立場をひどく屈辱的なものにしていまっていた。明らかにアラータはある点において彼よりも格段に勝っていた。それも単に、ルマータに対してだけではない。招かれもしないににこの惑星にやってきて、無力な憐れみだけを心に抱きながら、無情な仮説とここでは通用しないモラルの立場から、高みの見物のように、恐ろしく煮えたぎるこの惑星の生活を観察しているすべての地球人に対して、アラータは優っていた。喪うことなしには何も得られないことをルマータははじめて実感として感じた。われわれは善の王国ではアラータよりもはるかに強いが、悪の王国ではアラータよりもはるかに弱い……
「あなたは天から降りてこない方がよかったのです」と急にアラータが言った。「天にお帰りなさい。あなたはわれわれに害を与えるだけです」
「そんなことはない」ルマータは穏やかに言った。「少なくとも、私たちは誰にも害を与えていないよ」
「違います。害を与えています。あなたは根拠のない希望を吹きこみました……」
「誰に対して?」
「私にです。ドン・ルマータ、あなたは私の意志の力を弱めてしまいました。以前の私にとって頼りになるものは自分自身だけでした。ところが今はあなたのおかげで、自分の背後にいつもあなたの力を感じています。以前の私は、たたかいのたびに、そのたたかいが自分にとって最後のものだと思ってたたかっていました。ところが、今の私は、知らず知らずのうちに、あなたが参加してくれるもっと別の決定的なたたかいのために自分を温存するようになってしまいました……ここを立ち去ってください、ドン・ルマータ、もとの空へもどって、もう二度と来ないでください。さもなければ、あなたの稲妻を貸してください。あなたの鉄の鳥をくださるだけでもいい。でなければ、あなたは剣を抜いて、われわれの先頭に立ってください」
 アラータは口をつぐんで、ふたたびパンに手を伸ばした。ルマータは爪がなくなっている彼の指を眺めた。爪は二年前にドン・レエバがみずから特殊な器具を使って剥ぎ取ってしまったのである。君はまだすべてを知らない、とルマータは思った。君はまだ敗北の運命を担っているのは君だけだと思って、みずからをなぐさめている。君の事業そのものが絶望的だということを君はまだ知らない。敵は君の兵士たちの外にあるというよりむしろ内部にいるということを君はまだ知らない。ことによると、君はまだ神聖軍団を倒すかも知れないし、農民一揆の波は君をアルカナルの玉座にまつりあげ、君は貴族たちの城を破壊しつくし、男爵どもを入り江に沈め、立ち上がった民衆は、偉大な解放者としての君に最大の敬意を払い、一方、君は善良さと賢明さを発揮して、君の王国で唯一の善人、唯一の賢人になるかも知れない。君は君の善意にもとづいて土地を君の仲間たちに分け与えるだろう。しかし、君の仲間たちにとって農奴のいない土地が何の役に立つだろうか?そこで、車輪は逆の方向へ回転しはじめる。君。死んでしまって昨日の君の忠実な兵士のなかから新しい伯爵や男爵が生まれ出るさまを君が目撃しなくてすむとしたら、それは君にとってせめてもの幸せというものだ。すばらしい人間、アラータよ、私たちの地球でも、君のこの惑星でもそういうことはしばしば繰り返されたのだ。
「黙っているのですか?」とアラータは言った。彼は皿を押しやって、テーブルのパンくずを法衣の袖で払い落とした。「以前私には親友がいました」と彼は言った。「あなたも多分お聞きになったことがあるでしょう。ヴァガ・コレソという男です。私と彼とは一緒に活動を始めました。のちにあの男は盗賊になり、夜の支配者になりました。私はやつの裏切りを許しませんでしたし、やつもそのことを知っていました。やつは、恐ろしさと利益とを考えてのことでしょうが、よく私に援助してくれました。しかし、決して戻ってこようとはしませんでした。やつはやつなりの目標があったからでしょう。二年前にやつの部下が私をドン・レエバに売り渡しました……」アラータは自分の指に目をやって、その指でこぶしを握った。「今朝私はアルカナルの港でやつを追いつめましたよ……われわれの仕事においては半分の友というのはありえません。半分の友は、いつも半分の敵です」アラータは立ち上がって頭巾をまぶかにかぶった。「金はいつもの場所にありますね、ドン・ルマータ?」
「そう」とルマータはゆっくりといった。「いつもの場所にある」
「それでは行きます。どうもありがとう、ドン・ルマータ」
 アラータは音もなく書斎を横切って扉の向こうに姿を消した。下の玄関でかすかにかんぬきの音がした。
 
世界SF全集 24 早川書房 絶版 1970年初版より

2006-04-01 「神様はつらい」より引用1

2006-04-01 「神様はつらい」より引用1 編集CommentsAdd Star


  1. 「神様はつらい」より引用
知識人プダフとルマータとの会話
「人間の本質は、どんなことにも慣れてしまうという驚くべき能力をもっているということですね」とプダフはゆっくりと噛みながらいった。「人間がなれることのできないものなんて自然界にはありません。馬だって、犬だって、ねずみだって、このような特性はもっていません。おそらく、神様は、人間を創るにあたって、人間がさまざまな苦しみに出会う運命にあることを推しはかって、人間にこのように大きな忍耐力の貯えをさずけたのでしょう。それが良いことか悪いことかはわかりませんけどね。もしも人間にそのような忍耐力がなかったら良い人間は1人残らずとうの昔に死に絶えてしまって、この世には、魂をもたない悪い人間ばかりになっていただろうと思いますよ。だけど、別の面から見れば、堪えしのび、順応するその習慣のために、人間は言葉をもたない家畜同然になってしまって、解剖してみないかぎり、動物と少しも違いがなくなってしまいます。あるいは、たよりないという点では動物以下かも知れません。日があらたまるごとに、悪と暴力の新しい恐怖が生まれていますからね……」
 ルマータはキーラを眺めた。キーラはプダフの真向かいに座り、こぶしで頬をささえて、まばたきもせずに聞き入っていた。彼女の目は悲しげであった。人びとがかわいそうでたまらないのに違いない。
 「プダフさん、あなたのいう通りかも知れない」とルマータはいった。「しかし、私を例にとりましょう。この私はありふれた貴族にすぎません(プダフの広い頬にしわが寄り、その目は驚きと喜びをあらわして丸くなった)。私は学問のある人が大好きです。そういう人は魂の貴族ですからね。しかし、私にわからないのは、あなたがたのように、高い知識をそなえ、そのような宝の唯一の持ち主たちが、そのようにどうしようもないほど消極的なのか、ということです。どうしてあなたがたはそのように黙々として軽蔑に身をゆだね、牢獄におもむき、焼き殺されることに甘んじているのですか?どうしてあなたがたは、知識の獲得というみずからの生活の意味を、悪に対するたたかいという実生活の要求から切り離しているのですか?」
 プダフは空になったピローグの皿を遠くへ押しやった。「ドン・ルマータ、あなたはおかしな質問をなさいますね」と彼はいった。面白いことに、私たちの君主の寝殿官をしているドン・グークもそれと同じ質問をしましたよ。あなたは彼と知り合いですか?そうだろうと思いましたよ……悪とのたたかい! しかし、悪とは何ですか? みながそれをまったく自分勝手に解釈していますよ。私たち学者にとっては、悪とは無知のことですが、教会は、無知こそが善であり、悪はすべて知識から生まれてくるものだと教えています。農民にとっては、悪は税金や旱魃のことですが、穀物商人にとっては旱魃が善なのです。奴隷にとっての悪は酔っ払いで冷酷な主人であり、手工業者にとっては貪欲な高利貸しなのです。とすれば、ドン・ルマータ、たたかうべき悪はそのうちのどれなのですか?」プダフは悲しげに聞き手を眺めまわした。「悪を無くすことはできません。この世の悪を少なくすることはどんな人間にもできません。人間にできることは自分の運命をいくらか良くすることぐらいですが、それですらかならず他人の運命を悪くするという犠牲をともなうのです。残忍さの程度はさまざまでも、国王はいつもいるのだし、粗暴さの程度は違っていても男爵は男爵として生きつづけますし、そして民衆はいつまでも無知で、抑圧者に対しては感嘆を、自分らの解放者に対しては憎しみをいだき続けるものなのです。それというのも、奴隷は、たとえそれがいかに残忍な主人でも、自分らの主人の方を、自分らの解放者よりもよく理解しているからです。なぜなら、どんな奴隷でも、自分を主人の立場に置いて考えることはたやすいのですが、自分を無欲な解放者の立場に置いて想像することは非常に困難だからです。人間とはそういうものですよ、ドン・ルマータ、それに、私たちの世界はそういうものなのです」
「しかし、世界はたえず変わっていますよ、ドクトル・プダフ」とルマータは言った。「国王なんかいなかった時代だってあるのですからね……」
「世界が永遠に変わりつづけるなどということはありません」とプダフは反対した。永遠のものなんて何もありません。変化にしても同様ですよ……私たちは完全さというものの法則は知りませんが、その完全さは遅かれ早かれ達成されるでしょう。早い話が、私たちの社会の仕組みをごらんください。これこそ、幾何学的に整った、見た目にもきちんとした制度ではありませんか!一番下に農民と手工業者がいて、その上に貴族がいて、さらにその上に僧侶がいて、一番上に国王がいるのです。驚くほどうまくできた、安定感のある幾何学的な秩序ではありませんか!天の宝石細工師の手になるこのようにみごとな水晶であってみれば、一体そのなかの何を変える必要がありますか?ピラミッド型の建物以上に安定した建物はありません。そんなことは、いくらかでも知識のある建築家なら誰でも知っていますよ」プダフは念を押すように親指を立てた。「袋からこぼれ落ちる穀粒は、たいらな層にはならずに、いわゆる円錐型のピラミッドになります。おのおのの穀粒がお互いにつかまりあって下に落ちないようにしているのです。人間も同じことです。人びとも全体として何かしら完全なものでありたいと望むのなら、お互いに支えあって、必然的にピラミッドのようなものを作らざるをえないのです」
「まさかあなたはこの世界が完全なものだとは真面目に考えているわけではないでしょうね?」とルマータは驚いた。「ドン・レエバに会ったり、監獄を経験したからには……」
「若いお方。それはもちろんです!この世界の多くのものが私には気に入らないし、多くのものが変わって欲しいとは私だって思いますよ……だけど、どうしたらいいのです?上の人が考える完全さは、私が考えるものとは違うのです。木だって、もしも動くことができたなら、木こりの斧から全力で逃げ出したいと思うでしょうけれど、現実には、その木が自分は動けないと嘆いてみたところで何の意味がありますか?」
「もしも宿命を変えることができるとしたら、どうします?」
「そんなことができるのは天の力だけですよ……」
「しかし、もしあなたが神になったと仮定したとしたら……」
プダフは笑い出した。
「もしも自分が神だと仮定してもかまわないなら、私は喜んで神になりますよ!」
「だけど、もしもあなたが神に助言できるとしたら?」
「あなたはなかなか想像力が豊かですね」プダフはうれしそうに言った。「それは良いことです。あなたは読み書きができますか?それはすばらしい!私は喜んであなたとおつき合いしますよ……」
「お世辞は結構ですよ……ところであなたは全能の神に一体何を助言しますか?あなたが、これこそすばらしい立派な世界だ、ということができるようになるためには、全能の神は何をしたらいいのでしょう?……」
 プダフはわが意を得たりといわんばかりにほほえんで、椅子の背にそりかえり、腹の上で両手を組み合わせた。キーラはむさぼるようにプダフを見つめていた。
「わかりました」とプダフは言った。「私だったら全能の神にこう言ってやります。『神様、私はあなたの計画を知りませんが、もしかすると、あなたは人間を善良で幸せなものにしようとは望んでいらっしゃらないようですね。ですが、それを望んでください!それは簡単にできることです。人々にパンや肉や酒を思う存分与えてください、人びとに牛や衣類をふんだんに与えてください。そうすれば飢えや苦しみがなくなり、人々を分けへだてている垣根もすべてなくなってしまいます』」
「それだけですか?」とルマータはたずねた。
「それだけは不足だというのですか?」
 ルマータは首を振った。
「神様はあなたに答えるでしょう。『そんなことをしても人々の利益にはなるまい。なぜならば、なんじの世界の強き者たちは、私が与えたものを弱き者から取り上げてしまって、弱き者たちは相変わらず貧しいままにとどまるだろうからだ』」
「私は弱きものを護るように神様にたのみますよ。『冷酷な支配者を啓蒙してくださいませ』と私は言いますよ」
「冷酷さは力だ。支配者は冷酷さを失うことによって、力を失ってしまうのだ。そうすれば、ほかの冷酷な連中が彼らにとって替わるだけなのだ」
 プダフの顔から微笑みが消えた。
「冷酷な連中を罰してください」と彼は力強くいった。
「強き者が弱き者に冷酷さを示すことができなくなるようにしてください」
「人間は生まれたときはみな弱い者なのだ。まわりにそれ以上強いものがいなくなったとき、その人間は強い者となる。強い者のうちに冷酷な者が罰せられるようになれば、弱い者のうちから強いものが出てきて、彼らにとってかわる。そして、その人間たちも冷酷になる。だとすれば、すべての人間を罰しなければならなくなる。私はそんなことは御免こうむる」
「神様、あなたは本当によく見通していらっしゃる。それなら、あっさりと、人々がすべてのものを手に入れて、しかも神様からいただいたものをお互いに奪い合わないようにしてください」
「それも人々の利益にはならないだろう」ルマータは溜息をついた。なぜならば、人々がすべてのものを、労せずして、無料で、私の手から受けとるようになったら、人々は労働を忘れ、生活の意欲を失い、私の家畜になりはててしまって、私はそれらの家畜に今後永遠に食料と衣類を与えつづけて行かなくてはならなくなる」
「一度にすべてを与えなければいいのです!」とプダフは熱っぽく言った。「徐々に、少しずつ与えればいいのです!」
「少しずつでいいというのなら、人間たちは自分の力で必要なものを手に入れていくだろう」
 プダフはきまり悪そうに笑い出した。
「たしかに余り簡単なことではなさそうだ」と彼はいった。「いままで私はそのようなことは考えてもみなかった……どうも種が切れてしまったようですね。しかし」と言ってプダフは身を乗り出した。「もう一つの可能性があります。人々が何よりも労働と知識を愛するようにしてください。労働と知識が人々の生活の唯一の生き甲斐になるようにしてください!」
 そういうことはわれわれがやはりすでに試みようとしたことだ、とルマータは考えた。大衆的な催眠による暗示、プラスの方向での精神変革。赤道上の三個の人工衛星からの催眠放射……
「それもできないことではない」とルマータは言った。
「しかし、人類からその歴史を奪ってしまっていいものだろうか? 一個の人類に別の人類をすげかえていいものだろうか? そのことは、地上から人類を一掃し、その後に別の人類を創りだすのと同じことではないだろうか?」
 プダフは額にしわを寄せて、黙って考えこんだ。ルマータは待っていた。窓の外では再び荷馬車が悲しげにきしり始めた。プダフは小声でつぶやいた。
「それなら、神様、私たちを地上から一掃してしまって、改めて、もっと完全な人びとをおつくりください…… でなければ、いっそ、私たちをこのままに放っておいて、私たちに自分の道を歩ませてください」
「私の心は憐れみでいっぱいだ」とルマータはゆっくりと言った。「私にはそんなことはできない」
 そのとき彼はキーラの目を見た。キーラは怖れと期待の入り混じった目を彼に向けていた。
 
世界SF全集 24 早川書房 絶版 1970年初版より